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趣味としての外国語学習

外国語をどう学んだか」講談社現代新書

外国語をどう学んだか」講談社現代新書

 

「外国語をどう学んだか」(現代新書編集部編)講談社現代新書を読んでいます。

 

先日読んだ、「わたしの外国語上達法」がハズレだったのは、寄稿者が大学教授中心だったからかも知れません。

こちらは、もっと実務寄りです。

 

ブックオフで105円でしたが、ヒットです。

 

・「日本英語(外国語)教育は、ひとりの英語好きを生むために十人の英語嫌いを再生産し続けると言われる」(12ページ 筑紫哲也)

 

本当に英語が必要なのは日本人全体の十人に一人かも知れません。

現在英語教育が変わらない限りは、十人に一人の英語好きを作るために、多大な無駄(時間・お金)を覚悟しなければならないのかも知れません。

私が幸いにも十人のうちの一人になったことに感謝します。

 

 

・「外国語が苦手な人がいるのは、人間は生来、幼児期から空気や水のように親しんでいる母国語から引き離されることを嫌うものだからである。それは泳げない人が水をこわがるようなものである。....... 違和感は何よりも音としての外国語からくる。そこで水泳の習練ではまず初心者をみずに慣れされることから始めるように、外国語に関してもまず音になれることが肝心だと思う」(37ページ 関曠野)

 

音についてのトレーニング重要ですよね。

 

 

・「英語(外国語)を教える側は、当然のことながら学問的にも正確な英語を教えようとする。しかし、考えてみれば習うほうにとっては、それではあまり目標が高すぎる」(48ページ 平野次郎)

 

これはなかなかショッキングコメントです。

アメリカなりイギリスなりに移住して生活している人たちが、完璧ではない英語でも生活し仕事をしている事実を無視して、それ以上の完璧を求めているのは大きな間違いかも知れません。

 

これまでも、「外国人は間違いを気にせずどんどん話すのに、日本人は間違うことを気にして話さない。これは国民性だ。心の持ちようだ」という意見はあちこちにありましたが、それらの後ろには、「まずは間違えながら、どんどん会話をすることで上達し、最後には完璧になる」という気持ちがあったのではないでしょうか。

 

そもそも完璧を目指さないというのは、新しいアプローチだと思います。

 

・「中学高校英語先生は中等教育専門家ではあるが、語学教育専門家ではない。.... 大学英語学、英米文学研究者はどうであろうか。一部の応用言語学専攻者以外は該当しないであろう。.... 俗にネーティブスピーカーと言われている人々がすべてそのまま語学教育専門家であろうはずもなく、結局は一握りの専門家はいても世論を喚起し定説を流布するに至っていないのである」(61ページ 東後勝明)

 

東後勝明さんが言っているからなおさら重いですね。

 

英語学習法の専門家がいないために、コマーシャル主義の英会話学校に踊らされ、さらに義務教育までも踊らされ、国全体として大きな損失につながっているわけです。

 

私もここでチマチマと書いていますが、こんなことはとっくに応用言語学先生方が研究済みの分野で、なにも目新しいことは無いのでしょう。

フィルター理論についても、自分では凄い発見だと思いましたが、言語学入門の最初の普遍文法の説明をした挿絵に酷似しています。

 

私が30年間の外国語学習の経験から法則を見いだそうとするのはかなり非効率な気がしてきています。

しっかり言語学を学んでみたい気分です。