健康とサプリと英語学習と多読と
健康とサプリと英語学習と多読と
「英語ができるようになりたい」というのは、「健康になりたい」とか「幸せになりたい」とかと同じくらいに曖昧で、人によって意味するところが違うと思います。
それは違っても全く問題ないのですが、それがみんな同じだと思い込んで話を進めると意見がすれ違います。
美味しくご飯が食べられて、よく寝て、目覚めがスッキリしていることを健康と感じる人もいれば、フルマラソンを3時間台で走ることが健康だと思う人もいるでしょう。
「英語ができるようになる」という基準も人によってバラバラであるならば、「これさえやれば英語ができるようになる」という勉強法も存在し得ないことになります。
食生活がバラバラであれば、必要なサプリも人それぞれであり、「ビタミンCだけで大丈夫」とか「鉄分だけで」ということも有り得ません。
その人の状態、目標に向けてサプリを選んでいくわけです。
そうした場合、それぞれのサプリは鉄分なら鉄分、ビタミンCならビタミンCで、ピュアなものが望ましいです。
そうすることで、自分にピッタリのサプリは、鉄分が何パーセントで、ビタミンCが何パーセントでと、配合することが出来ます。
これが、鉄分と言いつつ、ビタミンCも既に含んでいたり、自分には必要ない亜鉛を含んでいたりすると、配合するのが難しくなります。
また、そもそもそのサプリの効果を測定する時に、鉄分の分が効果があったのか、亜鉛が効果があったのか分からなくなります。
個別のサプリはピュアであって欲しいと思います。
これはアロマオイルを調合するのでも、自分の投資ポートフォリオで業界をミックスするのにも、絵を描く時に絵の具を混ぜるのにも同じことだと思います。
最近酒井先生の掲示板で、tadoku のアプローチについての議論がありました。
「子どもが言葉を身につけるように英語を身につけていく」というアプローチは、個人的には無理だと思っていますが、酒井先生も実験と捉えていらっしゃるようです。
言語学習でそのような実験が難しいのは子どもに行う場合は倫理的な問題がある(結果的に修得できないことが数年後に分かった時に取り返しが付かなくなる)からでしょうが、分別のある大人がそれに参加するのであれば、それで身につかなかったからとしても問題にならないと言うことでしょうか。
これまでそもそも英語ができなかったのだからダメ元で構わないということでしょうか。
批判派のポイントは、「そのようなピュアなアプローチにいわゆる勉強を混ぜることでより効率的に修得できる道がある可能性があるのに、それを最初から否定しているのは問題である」というものですが、外野から見ている私としては上に書いたようにアプローチはがピュアなものであればその方が自分に取り込む時に取り込みやすいと思っています。
むしろ、ポイントは、「他の勉強法を混ぜることでもっと効率的に修得できる道があるかも知れないが、自分が酒井先生の壮大な実験に参加していて、それによって結果的に修得できずに終わるかも知れないが構わない」という点について参加者が意識しているかというところのような気がします。
かつてのSSSの掲示板においても似たような議論が時々ありましたが、(私の見ていた感じでは)あそこでの目的は「楽しくペーパーバックが読めるようになる」というものでしたから、その限定された目的に関して言うならば、SSSで展開されていたアプローチは一貫していたと思います。
多読に関してはいろんな研究が出ているようですが、それらについて「他の学者の言うことには興味がない」という酒井先生の態度も気になります。
「他の学者の言うことはすべて把握しているが見るものはないので興味がない」のであれば構わないのですが。
英語学習をスポーツのトレーニングに喩えるのは齋藤孝・斉藤兆史コンピにかぎらないでしょうが、「つらいトレーニングは近道だが途中で挫折するリスクがある」「楽しいトレーニングは上達が遅いが継続可能である」ということだと思います。
多読は楽しいから続けられるというのはその通りだと思います。
その分、修得に時間がかかるということです。
多読と言いつつ決して量が多くないのであればなおのことです。
私には時間がないので、引き続き外野からの観戦とさせていただきましょう。
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