語楽カフェ

趣味としての外国語学習

イタリア語と文流と

イタリア語と文流と

 

日曜は高田馬場に。イタリア語の文流の主催による「フィリッポ フィオレンティーニ先生を偲ぶ会」に参加してきました。

 

日本におけるイタリア語教育に果たした文流の役割を知り、大きな驚きと感動を得ました。(駅前のホテルサンルート高田馬場の大会議室がちっとも「大」会議室でなかったのも驚きでしたが)

その過程でのフィリッポ先生の貢献にも感動しました。

 

今の文流の会長が1980年に娘さんをフィレンツェのLinguavivaに留学させフィリッポ先生を「発見」。1983年には息子さん(今の文流の社長)をフィリッポ先生のところに送り込む。その経験から、1984年1985年の日伊協会主催の八王子セミナーハウスでの集中講義にフィリッポ先生を招聘。

それまでの日伊協会での文法中心の指導から脱皮すべく、フィレンツェのLinguavivaと提携してのクラスを作ろうとした文流の会長(当時は日伊協会の理事)でしたが、国の意向を受けて展開していた日伊協会としは「民間企業との提携はできない。文流でやってくれ」となったことから、文流がリンガビーバを始めたとのこと。

 

その後も小学館の伊和辞典・和伊辞典の編纂や、イタリア語検定の開始・運用など、文流の献身がなければ現在のイタリア語学習環境は出来ていなかったかも知れません。

 

私は2002年にリンガビーバのSAクラスを受講しましたが、その時の先生の一人がフィリッポ先生でした。3人の先生が週替わりで教えるというクラスでしたが、真面目なフィリッポ先生はとても印象に残っています。(すでにこのころから体調が悪かったらしいですが)

その年にイタリア語検定1級に合格したのでそれ以上通わなかったのですが、シエナ大学イタリア語検定のどのレベルを受ければ良いかとメールで照会して、Livello 4で大丈夫だよと言っていただいてその年の冬のCILS 4に合格しました。

 

二三年前に文流の本のセール会場でお会いして、まだ私のことを覚えていただいてました。「全ての生徒の名前のみならず名字も覚えていた」とのエピソードが昨日紹介されていましたが、素晴らしいことです。

 

外国語学校では、先生がしばらくすると帰国してしまうと言うことが良くありますが、フィリッポ先生のように日本でのイタリア語教育に全精力を注ぎ込む先生に巡り会えたら、生徒としてはとても幸せなことです。

 

ホテルサンルート高田馬場の大会議室は実は小さくはなかったのです。フィリッポ先生を慕う生徒の数があまりに多すぎたということです。

 

ご冥福をお祈りします。

 

 

 

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