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趣味としての外国語学習

Globish is rubbish

Globish is rubbish

 

 

東洋経済が勘違いしてか意図的にかGlobishを売り出そうとしているようなので読んでみました。

 

まずはこの本ですが、見開きで対訳になっています。

左側が英語(Globish)で、右側が日本語訳です。

 

英語の読める人は英語側しか読まないでしょうし、英語はしんどいという人は日本語側しか読まないので、無駄です。200ページの本ですから100ページで十分です。すると本代も750円+税となっていたでしょう。

とは言っても、Globishの英語がどのようなものかと知る必要もあるでしょうから日本語版にGlobishで書かれたページを少し足して、800円くらいで良かったでしょう。

 

Globishは使う単語も言い回しも限定しているので、こなれた英語と比べるとゴツゴツしています。すなわち読んでいて疲れます。

意図が良く分からないのは、日本語訳の方も「なるべく原文に沿う逐語訳としたため、若干、日本語として不自然さが残る部分もあることは、あらかじめお断りしておく」(2ページ)という翻訳方針。結果としてゴツゴツした日本語が気になるのです。

 

中身ですが

 

1ページ目「原書「Globish The World Over」は2004年に刊行され、中国、ロシア、オランダ、スペイン、ポーランド等で翻訳されている」

これは2009年の誤りではないかと思われます。

2004年はフランスで「Parlez Globish: Don't speak English」が出た年だと思われます。

 

「もはや国際社会においては非ネイティブ・スピーカーが全体の約7割を占め、お国なまりの英語で積極的に話をしている人ばかりだ。インドなまりの強い英語でインド人にまくしたてられ当惑した経験を持つビジネスマンも多いと思われる」

とありますが、訛りがあることと英語がブロークンであること(或いはネイティブの英語ではないこと)とは異なると思います。

訛りで言えばスコットランドの英語はひどいものです。インドの英語は準公用語の位置付けであり、非ネイティブに入れるのは適当ではないと考えます。

 

以前の記事にも書きましたが、英語学習の中での最初の目標点としてGlobish(のようなもの)を置くのは良いと思いますし、そのようなアプローチはこれまでも世の中にありましたので反対するものではないのですが、Globishで全てが解決するような提示の仕方には賛成できませんし、Globishが定着するとも思えません。

 

2004年にGlobishに関する最初の本がフランスで出て、その後の5年間(Globish The World Overが出るまでの5年間)でほとんど広まっていない点について著者は三つの問題を指摘します。

・物理的なこと

・言語的なこと

・政治的なこと

 

ここで物理的なこととは「時間やお金、英語を話す人と接する機会がない」ということですが、Globishに限らず英語全般としても、インターネット、CDなど教材豊富な現在も、過去と比べて英語の習得は容易になっていないという安河内先生のコメントなどからすると要はやる気の問題であり、この物理的な問題は解決されないのではないかと思います。

 

Globishの欠点は、こちらの言いたいことは相手に伝わるが相手がネイティブの場合、相手にもGlobishを使ってもらわないと会話が成立しないと言うことです。

「英語を話す人は、非ネイティブとのやりとりでは、話すのも書くのも制限すべきなのである。つまり彼らもグロービッシュを「学ぶ」必要がある」(63ページ)というのですが、ネイティブがGlobishを学ぶという想定は非現実的です。

 

翻って学習者の側も「グロービッシュを使おうと決めた人は、基本単語リストに載っているよりもずっと多くの単語をマスターするだろう、ということは明らかだ。英語の上級学習者にとっては当然だが、そうでない人にも当てはまる。多くの場合、非ネイティブの人は、もっと難しい単語を使ったスピーチを聴いたり、書かれたものを見る機会があるだろう。そうしたとき、非ネイティブはその新しい単語を覚えておいて、将来、また必要になったときのために備える。良い成果である。我々は、新しい単語には一切目を向けず、耳をふさげと言っているのではない」ということで、当初のGlobishの枠を越えてネイティブの英語に歩み寄って行ってしまいます。

 

また「グロービッシュは、ツール(道具)以上になることは目指しておらず、だからこそ、英語とは異なるのだ。英語は文化的な言葉である」(51ページ)「グロービッシュは文化的な目的がないので、どんな言語、どんな文化にも脅威を与えない。英語の争いに取って代わる。グロービッシュを使うだけで、素晴らしい文化は、英語文化による侵害から守ることができるだろう」(83ページ)というのは、ピュアにツールであり、文化的要素を持たないということを言っているわけですが、ビジネス英語しか使わない人ならそれでも良いでしょうが、英語文化について知ろうとする人には向かないでしょう。

言語多様性の点からの英語の拡大に反対する鳥飼先生は安心するところかも知れません。

 

変なグロービッシュブームが来ませんように。