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趣味としての外国語学習

逆さ言葉に関する考察

逆さ言葉に関する考察

 

小学校の頃に、「竹やぶ焼けた」とか「新聞紙」という言葉が、反対から読んでも同じ言葉であるとして教わった。しかしながらこれは必ずしも正しくない。「しんぶんし」であれば、反対から読んでも「しんぶんし」であるが、「新聞紙」なら、反対から読むと「紙聞新(しぶんしん)」であろう。

「上から読んでも『山本山』、下から読んでも『山本山』」というのは、正しいのである。いやいや、「山本山」は反対から読むと「まやともまや」である、と言う人は、「読む」という行為を理解していない。

ここまでは、文字レベルの話をして来たが、これを音レベルで語ることも可能である。

小学校の頃にNHKの教育番組で、「トマト」を逆から聞くとどう聞こえるかという実験をしていた。

当然当時の私は「トマト」と聞こえるだろうと思ったのだが、実際に聞こえて来たのは予想を裏切る答えだった。

実験はテープに録音した音声を逆回しにして聞かせるものだった。

聞こえて来た音は日本語で表すならば「オタモット」に近いものだった。

 

この仕組みはローマ字を使うと容易に理解される。

「トマト(tomato)」を逆から聞くと、ローマ字のレベルで引っ繰り返す必要がある。すなわち、「otamot」となるのであり、そうであるならば、聞こえてくる音は「オタモット」に近い音となるのである。

日本語の音をローマ字で分解して分析する能力は、外国語習得において重要な能力だと思う。

日本語にない音も理解し聞き取れるようになるためには、必須の能力であると考える。

そのために小学校でローマ字を教えたのだろうと今になって思うのだけれど、実は教える側もそんなことは思っていないのかもしれない。

今でも小学校でローマ字を教えているのだろうか。

その後の英語学習との関係で、混乱をきたすとして反対する人もいるようだが、英語教育に上手く取り込めれば効果が上がると思う。

同様に国語文法或いは古典文法も外国語教育に役に立つはずと思っている。