パターンプラクティスは死んだのか
パターンプラクティスは死んだのか
私が中学、高校に通っていた頃は、LLの授業があり、パターンプラクティスをたくさんやりました。
そのような練習法はもう流行らないのでしょうか。
スポーツでは素振りや受け身やシュート練習など、型の練習をするのに、どうして語学だと抵抗があるのかと書いた人がいました。
抽象画で有名な人も、きちんとデッサンの勉強を積んだことでしょう。
アドリブの得意なジャズプレーヤーも、スケールやコード進行の練習をきちんとしたのではないでしょうか。
基礎がなければ応用が無いような気がしています。
自分がパターンプラクティスで基本文を身につけて英語ができるようになったと感じているので尚のことそうです。
「外国語学習に成功する人、しない人」に書かれていた、「臨界期仮説は人種の問題ではないか」という話が非常に印象に残っているので、現在のコミュニケーション重視のアプローチにも、何か裏があるのではないかと勘ぐってしまいます。
例えば、こう言うのはどうでしょう。
第二外国語学習というのは、米国で移民が英語を学ぶ過程について研究されている。
よって、中南米系、アジア系の移民に英語を教えるケースが問題になる。
国としては、移民がとりあえず英語で会話してくれるレベルに達すればOKで、それ以上伸びる必要はない。
よって、日常会話ができるレベル(こども英語のレベル)まで達する為の教授法として、コミュニカティブアプローチが出た。
第一回目の生寅の会に、米国の高校を卒業したばかりの男の子が参加してくれましたが、そこでは、EFLのクラスはコミュニケーション重視だけれど、フランス語やその他外国語のクラスは、読解中心で大量に読まされるというようなことを言っていました。
本当にそうであるならば、上の仮説が正しいことになります。
学習者は、自分が目指すのがこども英語なのかおとな英語なのかを明らかにした上で、学び方を決める必要があると言うことでしょう。