2006-12-29
パターンプラクティスは死んだのか 続
とは言っても、私が英語ができるようになったのが、パターンプラクティスだけのおかげだと言うわけには行きません。
純粋にパターンプラクティスだけをやらせて、長期にわたって観察するという実験は、時間もかかりますし、被験者の貴重な時間/外国語を学ぶ機会を奪うという点からは、実施が難しいのではないでしょうか。
私の場合も、英語についてはパターンプラクティスをたくさんやり、基本文の暗唱をやり、それらをベースにして、英作文の問題をたくさんやりました。
受験勉強の中の、この英作文が、後の話す能力につながったのだと思っています。
(その後の伊語や仏語では、そんなにパターンプラクティスをやった意識もなく、作文もやっていないのですが、英語で培った能力を仏語・伊語でも共有することができたということではないかと感じています)
見聞きして分かる単語、文法事項しか自分では使えませんから、まずは基本語彙、言い回しを覚えるのは避けられない道です。
また、「外国語学習に成功する人、しない人」にあったように、実際に話さなくても話そうとして頭の中で作文するのがアウトプットの能力向上につながるという点については、非常に合意です。
総合英語 Forest
ふとしたことで、Amazon で「総合英語Forest 第4版」という文法書を発見し、非常に評判が良い中で新刊が入手できず、中古が定価を超えて売り買いされているのを目撃しました。
ブックオフで買って、高く売ろうと企てた私は、間違えて「高校総合英語Forest」というものを買ってしまったのでありました。
一昨日、近所のブックオフで「総合英語Forest 第4版」を見つけた私は、ドキドキしながら買って帰り、Amazonで叩き売ろうとしたら
何と!!
第5版が発売になっていました。
それで第4版が市場に出てきたのでしょう。
ブックオフで買った「高校総合英語Forest」と、「総合英語Forest 第4版」。
二冊に払ったお金があったら、第5版を定価で買えました。
反省。
いずれにせよ評判が高いようなので、第4版を通読してみたいと思います。
惜しげもなく
すっかり寒くなりました。
冷え性の私にはつらい季節で、こう寒いと神保町から大手町の朝のウォーキングもつい億劫になり、最近はいつも地下鉄です。
先日も、神保町の駅で改札を出ずに乗り換えに向かう「根性無し」の私の前を、ミニスカート制服の女子高生が横切っていきました。
寒くないのかしらん。
「その健康的な脚を惜しげもなくさらして。。。」
などというフレーズが頭に浮かんだのですが、その次の瞬間、頭の中で考えがグルグル回り始めました。
「惜しげもなく」といフレーズの裏には、「本来は惜しむべきである」という前提があり、さらに押し進めると、「さらす/見せるのなら、お金を取れ」みたいな感じになります。
ひっくり返すと、「そんなの見せてもらったら『良いもの見せていただきました』という感じだ」ということになります。
このように分析すると、私は単なるスケベ中年オヤジになってしまうのですが、実態は決してそうではなく、単に語彙の選択に間違いがあったということです。
(と言いつつ、ピッタリの語彙が一週間経った今でも浮かんでこない私は、やはり単なるスケベ中年オヤジなのかも知れないのですが)