修正「サピア・ウォーフ仮説」と横顔と
修正「サピア・ウォーフ仮説」と横顔と
「サピア・ウォーフ仮説」というのは、「異なる言語を話す者は、その言語の相違ゆえに異なったように思考する」というもので、これまでも何度か触れてきました。
しかし、これまでの「イタリア語モードになると私は女性を口説き始める」というコンテクストで語られることがほとんどでした。
(参考) 未必の故意
http://shibutora.g.hatena.ne.jp/shibutora/20060908/1157726438
が、しかし!!
私の性格を変えるのはイタリア語ではなく、「自分をイタリア人だと思い込む」ということだけで足りることが分かりました。
先日、シェラトン都ホテルでのMBA Tour では、私がかつて留学した SDA Bocconi からアメリカ人のマーケティング担当が来ていました。
いつもはイタリア人担当が来ていたので、私もイタリア語/イタリア人モードに入り易かったのですが、今回は違いました。
が、留学希望の方々と話をしていると、イタリアの良さについて話している中で自分がどんどんイタリア人になっていくような感じがありました。
イタリアにいた頃はオリンピックでは日本とイタリアを応援していました。
それより長くいたロンドン時代には、イギリスを応援すると言うことはありませんでした。
というわけで、すっかりイタリア人になっていた私は、別の集まりで以前みかけた女性を会場で発見して駆け寄って声をかけました。
彼女(Sさんとしましょう)は、横顔のきれいな方です。
これは正面がきれいではないと言うことではなく、別の集まりでは座った位置で少し遠くからの横顔しか見えていなかったからです。
自分の顔については毎日何度もトイレの鏡で正面から向き合うわけですが、横顔については昔の三面鏡でも無ければ見ることはめったにありません。
正面の顔は長年の付き合いの中で見慣れていって諦めがついたり、好きになったり、意識する中できれいになったりするでしょう。
これに対して横顔は忘れ去られて、無防備で、そんな自分の横顔の写真を取られて突きつけられた時の驚きと気まずさは、自分の声を録音して聞いてみたときの感覚に近いです。
「40歳過ぎたら自分の顔に責任を」と言いますが、責任を取れるのは正面の顔だけではないでしょうか。
横顔のきれいな人は横顔にも責任を持って気を配っている人なのでしょう。
そんな人を見かけるとドキリとします。
この日は横顔のきれいな人が私の前を通り過ぎていったときに、私はその人だとすぐに分かりました。
以前、3回くらい横顔を見ただけだったというのに。
すっかりイタリア人モードだった私は当然その人に駆け寄って話し掛け、その人の正面の顔を初めて見たのでした。
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