2008-07-06
訳してみると言うこと
中級フランス語・イタリア語勉強会は、おかげさまで参加者が増えてきまして、フランス語7名、イタリア語4名でテキストを読み進めています。
自分が担当のところも、そうでないところも、自分で訳して、他の参加者のコメントをいただくようにしています。
インプットのトレーニングをしていると、分かったつもりになってしまうということがあります。
黙読しているときも脳内音読しているのですが、その際には、「音読したとしても上手くできるはず」と思っています。
実際には音読してみると、発音が分からないところがあったり、発音の筋肉が訛っていて音読がうまく行かなかったりするわけです。
(さらにCDを聞いて発音を確かめるとさらに発見があります。本当は自分の発音を録音してお手本と聞き比べるところまでやるべきなのでしょうが)
先月参加した日本通訳学会例会での門田教授の講演はとても面白かったのですが、頭に残ったことの一つは、「音読もシャドーイングも、出来ると思っているものが本当に出来るか試す仕組み」ということです。
日本語訳をするというのも同じことだと思います。
原文を読んで分かったつもりになる。他の参加者の訳を読んで分かったつもりになる。
でも自分で訳そうとするとうまく行かない。
英語を英語のままで理解すれば良い。訳す必要はない。
という意見は良く耳にします。
それで足りる人も多くいらっしゃるでしょうから、それでも良いでしょう。
ただ、その場合、分かっているかどうかを判定する方法が難しいということでしょう。
英語のまま理解したことを確認するためには、英語で自分の言葉で内容を要約してみるなどというのが良いのでしょうが、外国語のアウトプット能力が追いついていない中では難しいでしょう。
学校の試験でそのような手法を取り入れるには、採点の体力がものすごく大きくなってしまいますし。
結局のところ、その人がどのくらいインプットを理解しているかというのを評価するのは大変難しいのです。
「あなた、私の胸をいやらしい目で見ていたでしょ!!」
「いやいや。僕は目が悪いから何も見えていないですよ」
と言う場合でも、男性の視力がどのくらいかは本人以外が知るのは難しいです。(なので学校の試験では日本語訳を問題にだす)
また、外国語の場合は、本人であっても正しく理解しているかどうかの判断は難しいでしょう。
ということで、中学生・高校生に戻った気持ちで、地道に日本語訳を続けていこうと思います。
興味のある方はご連絡ください。
中級フランス語・イタリア語勉強会