語楽カフェ

趣味としての外国語学習

2008-07-11

会話が言葉のキャッチボールに例えられた時代は終わった (メモです ご意見募集)

 

会話は言葉のキャッチボールって誰かが言っていたような。

 

私も何度か使いました。

 

キャッチボールなのだから、相手の取りやすいボールを投げる。

 

それは、わかりやすい発音を身につけるように努力することかもしれませんし、受け手の属性を意識して訳語を考える通訳・翻訳従事者のことかもしれません。

 

が、そんな時代も終わったのでしょうか。

 

テレビで流れるベルリッツのコマーシャル。

 

会議の席に10人くらい。外国人に混じって一人だけ日本人。

 

外国人は英語で会話をどんどん回す一方で、足下ではサッカーボールのパス回しをしています。

 

日本人にはなかなか発言の機会(サッカーボール)が回ってきません。

 

ようやく回ってきたときには、うまく発言できませんでした。(ボールを蹴り損ねて誰のところにも届きませんでした)

 

日本で野球よりもサッカーの方が人気スポーツになったということで、このようなCMになったのでしょうか。

 

それだけかもしれません。

 

しかしながら、これは会話を考える上で重要なヒントを与えてくれるような気がしています。

 

伝統的なキャッチボールモデルでは、やりとりは相対する二人です。

が、サッカーのパス回しでは人数が増えています。

これは会議などの場面を表すのに、より適しているでしょう。

 

コマーシャルの途中で、しばし一人でリフティングをするシーンがあります。

これは、独り言を活用した会話のトレーニングに当たるでしょう。(テニスの壁打ちでも良かったのかも。でも壁に向かっての独り言は寂しい。。。。)

 

キャッチボールが、静止した二人によるものである一方、サッカーのパス回しは、動きながらやる場合もあります。(試合ではもちろんそうです)

相手の胸をめがけてではなく、パスする相手の行動を読んで、そちらに送る。あるいは、相手に動いてほしい方向にボールを出す。

これらは「会話を運ぶ」という面での方略についての比喩として使えるかもしれません。

(野球でもファーストゴロでベースカバーに入るピッチャーにボールをトスする場合は、ピッチャーにではなく走り込んでくる場所にトスするのですが)

 

野球にしろサッカーにしろ、男性にはピンと来やすいたとえかもしれません。

 

が、なかなか面白い頭のトレーニングだと思います。

 

お試しください。

 

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(再)訳すと言うこと (仮説です 長文です)

 

「日本語では分かっているんだけど、英語には訳せないんだよなあ」

「お前、それ英語ができないだけじゃん」

 

違和感のない会話でしょう。

 

「英語では分かっているんだけど、日本語には訳せないんだよなあ」

これに対する解釈・反応はどのようになるでしょう。

 

1.本当は英語でもわかっていないんじゃないの(英語力に問題あり)

2.訳は日本語能力だと言うからねえ(日本語力に問題あり?でも日本人で普段は不自由なく使いこなしているよ)

3.訳は、まずは言葉(source language)を通して理解した内容を、イメージとして頭の中で再構築し、これを別の言葉(target language)で表現するもの。だが、その過程でsource languageの言語表現に引っ張られてしまうことがあり、本来なら可能な母語での表現が難しくなってしまう。(一旦イメージに戻り再度言語表現に吐き出す能力の欠如)

 

方向 \ 能力 英語力    日本語力  深く降りる力 翻訳テク
英語 -> 英語     ◎               ◎           
英語 -> 日本語    ○       ○       ◎       ○   
日本語 -> 日本語         ◎       ◎        

 

ここで翻訳テクニックとは、安西徹雄「翻訳英文法トレーニング・マニュアル」(バベルプレス)のようなものを考えています。

 

そこで次のようなテストを考えてみます。

 

日本語の文(章)を読んで、自分の言葉で言いかえる/要約をする。

 

これがうまく行くならば、深く降りる能力はあると考えられる。

うまく行ったら次に同じことを英語でやってみる。

 

日本語では出来たのに英語で出来ないのであれば、それは英語力の問題でしょう。

 

これまで、「英語で分かっているのだから、日本語訳す必要はない」という主張に対し、「英語で分かっているかどうかは、英語で要約してみれば分かる」と思っていたのですが、上の考えで行くならば、深く降りる能力が欠けていて出来ない場合もあるので、切り分けが出来ないことになります。

 

特に日本では国語教育でそのようなトレーニングが為されていないので、さらにその傾向があるでしょう。

 

うまくまとまったと思ったのですが、だからどうすれば良いのという、オヨヨな結論になってしまいました。

 

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