女心(おんなごころ)とアラビア語
女心(おんなごころ)とアラビア語
八「寅さん、アラビア語始めたって言うじゃあねぇかい。難しくないかい?」
寅「おぉ。八っあん。文字が分かりづらいが、母音は三個しか無いって言うから大丈夫だろうよ」
熊「うちのかあちゃんなんか、ボインは二つだが、怒り出したら何言っているか分からねぇよ」
八「うちのはボイン無しだが、時々わかんねぇなぁ」
寅「んん。。。 アラビア語止めようかなぁ」
東京育ちではないので、「てやんでぇ」とか「べらんめぇ」とか入れたかったのですが出来ませんでした。
小学校の文法の時間に「母音」の話が出ると男子がみんなゲラゲラ笑ったのでした。
大橋巨泉の造語と言われる「ボイン」が既に死語かも知れないという点を別にしても、「母音」と「ボイン」のアクセント位置の違いを認識しない「ゼロアクセント」地域だったからこそ起こった出来事だったかも知れません。
(さらに「拇印」とのアクセントの違いも良くわかりません)
それはそれとして。
今さら死語について分析しようとするのもどうかと思いますが、死後について語る人もいることですし、そのうち詩語に変わるかも知れませんし。
考えていたのは、「ボイン」というのが可算名詞か不可算名詞か。
呼ぶときには a pair of を使うかどうかということだったのでした。
「ボイン」に合わせて当時は「ナイン」(「無い」からの造語。「9(nine)」ではない)というのもありましたので、「0(zero)」の概念があるなら、可算性があるのだと考えたわけです。
しかしながら、むしろそれは程度を表す形容詞であろうと思い至ったわけです。
以下一旦書いたものの、自己検閲。
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