小麦色に日焼けしたおねえちゃんの肌よりこんがりやけた今川焼が好きだ
小麦色に日焼けしたおねえちゃんの肌よりこんがりやけた今川焼が好きだ
「小麦色に日焼けしたおねえちゃんの肌よりこんがりやけた今川焼が好きだ」
という男性が書いた文を見たときに、どのように解釈されるでしょうか。
「この人は、(例えばビーチバレーの浅尾美和選手のような)健康的に小麦色に日焼けした女性の肌には興味が無く、今川焼きの方を選ぶのだ」
と読んだ人は、だまされています。
書いた人は、今川焼の焼け具合を表すために比較のために、「小麦色に日焼けしたおねえちゃんの肌」を出してきただけです。
すなわち、
「『小麦色に日焼けしたおねえちゃんの肌よりこんがりやけた』今川焼が好きだ」
ということです。
おねえちゃんの肌より今川焼きが好きなのではなく、生焼けの今川焼より、こんがり焼けた今川焼が好きだと言っているだけです。
書いた人が「小麦色に日焼けしたおねえちゃんの肌」が好きかどうかはどこにも書かれていません。
むしろ、上記のように誤解させることで、自分が「小麦色に日焼けしたおねえちゃんの肌」が好きであることを隠そうとしているようにも読めます。
文章を書いて推敲するときに、誤解されないかどうかをチェックします。複数の意味に取られかねないときは、順序を変えたり、句読点を入れたり、『』や()でくくったりします。
「複数の意味に取られかねない」かどうかに気づくかどうかは、センスの問題かも知れません。(本人ひねくれているかどうかかも知れませんが)
他方、複数の意味に取られることを利用するテクニックも当然あるわけです。
ダジャレだったり、掛詞だったり。
上の文も、そのような効果を狙って、自分の本当の嗜好を隠そうとしているのかもしれません。
ちなみに上の文は、某所に書いた私のプロフィールの中の一文です。
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