語楽カフェ

趣味としての外国語学習

日本語が見えると英語も見える(荒木博之著)中公新書 その2

日本語が見えると英語も見える(荒木博之著)中公新書 その2

日本語が見えると英語も見える(荒木博之著)中公新書


面白いです。

でも、これを面白いと思う人はそれほど多くないと思いますが。

これまでも「虹」が何色に見えるかという話で、言語によって切り分けが違うという話をしてきました。

しかしながら、これまでの私の理解は、例えば虹の例で言えば次のようになります。

日本では虹には七つの色がありますが、Aという言葉では二つの色しかありません。

これを明るい色と暗い色としましょう。

この場合、日本の赤も黄色も、Aでは「明るい色」となります。

逆にAの「明るい色」は赤だったり黄色だったりします。

それは状況によって決まります。

ところが、この本を読むとその考えは薄っぺらだったと思い知らされることとなります。

先ほどの「明るい色」が赤だったり、黄色だったりするのですが、赤でもあり黄色でもある場合があるということです。

先日書いた「けなげ」などの例がそれにあたります。

この場合、「明るい色」の日本語訳は、「赤かも知れないし黄色かも知れない」ではなく、「赤であり黄色である」ということになります。

言葉により切り分けが違うから、外国語日本語の単語に1対1の対応を期待してはいけないと言っておきながら、自分はそこから抜け出せていなかったのです。

日本の和英辞典の多くが一対一の英単語を割り振っている点について、著者は一対一の呪縛にとらわれているとして批判しています。

鈴木孝夫氏は「日本のことを海外に伝えようと言うアウトプット努力がこれまで為されてこなかったことから和英辞典が貧弱である」としていましたが、どちらも面白い見解です。

同様のことは単語のレベルだけではなく文章のレベルでも起きます。

英語に直すときに日本語では受け身的表現を英語では能動態で表現するとか、英語に特徴的な無生物主語とか。

文型も一対一の対応があると思ってはいけないということです。

日本語英語に訳すときに、まずは単語/文章のレベル英語にしやすい日本語に言い換えて、それから英語訳をするということは良く行われているテクニックです。

この一旦置き換える作業を著者は「中間日本語」という概念を出して説明しています。