第13章 第二言語の喪失と維持 (その1)
第13章 第二言語の喪失と維持 (その1)
赤の女王仮説 Red Queen hypothesis というのがあります。
「鏡の国のアリス」の中で、「赤の女王がアリスに『同じ所にとどまろうと思うなら、全速力で走りつづけなさい』と言った」という一節からの命名です。周囲が動いているために、その場にとどまるために全速力で走り続ける鏡の中の世界では、進化を継続していかなければなりません。
語学の習得も忘却との戦いです。同じレベルを保つだけでもかなりの努力が要求されるのです。
千野栄一「外国語上達法」(岩波新書)には、「語学の習得というのは、まるでザルで水をしゃくっているようなものです」と言った方の紹介がされています。(9ページ)
下りのエスカレーターを上っているようなものかも知れませんし、豊島園の流れるプールであるいは川で上流に向かって泳ぐようなものかも知れません。
少し気を抜くと、どんどん流されていってしまいます。
年齢の問題もあるのかも知れません。しかし若い人もそうでない人も忘れるのです。
外国語習得を語るとき、どうやって覚えるかと言うことについては非常に議論されているのに対して、どうやって忘れるのか、どうやったら忘れないのかについて語られることが少ないと思います。
点を取ること(覚えること)はもちろん大切ですが、それ以上に点を取られる(忘れる)と負けです。
点を取ることと同時にどうしたら点を取られないかについて考えることが重要だと思います。
ということでテキストを見てみましょう。
ここで対象となっているのは、L1環境でのL2言語の喪失、すなわち、母語の環境で第二言語を喪失するケースです。
我々日本人/日本語母語話者にとっては、日本にいて外国語を忘れるというケースです。
まず、これまでの研究結果に基づいて、第二言語喪失の要因として(1)使わなくなってからの年数、(2)熟達度、(3)年齢、(4)読み書き能力、(5)動機と態度があげられています。
このうち、(1)と(3)については、研究結果がばらけていて一概に結論づけられないことからここでは省略します。また、(5)については、「本人が維持しようと心がけると保持される」という当然の結論ですのでこれもここでは触れないことにします。
まずは(2)の熟達度です。
これは熟達度の高い人は喪失しにくく、熟達度の低い人は喪失しやすいというものです。
ここでは、決定的閾値の仮説(critical threshold hypothesis)が紹介されており、一旦ある決定的な言語の量(critical mass)を獲得すると喪失しにくいという考えです。
これは私の経験に近いです。
通訳ガイド検定のイタリア語とイタリア語検定一級に合格したのはイタリアを離れてから8年後でした。大学時代に1年間細々とやったドイツ語は、卒業する頃には既に忘れていました。
この現象については別のところで車のギアに例えて紹介しました。
自動車で低いギアではアクセルをずっと踏み込んでいなければならないが、トップギアではほとんど踏まなくても高速を維持できるというものです。
一旦あるレベルまで達すれば、その維持に必要な努力は少なくて済むというものです。
(以下次号)
資料