語楽カフェ

趣味としての外国語学習

2006-03-27

グッチョイ その2

杉並区マイバッグキャンペーンポスターでは、「ぐっどちょいす」となっていました。

「グッド」と「ド」をはっきりさせると、日本人には「Good = 良い」という意味で取られやすいのでしょうか。

「グッバイ」と日本語で/カタカナで言うときには、Good の意味は意識されていない気もしますし。

話は変わって、読み返していた「外国語学習法」(千野栄一)に、cars と cards の発音の違いについて書かれていて、これまた焦って自分の発音を確認しました。

第13章 第二言語の喪失と維持 (その2)

次に(4) の読み書き能力です。読み書き能力が高い方が、喪失がゆっくりしているというものです。

私もイタリア語英語は膨大な量を読みましたが、書くについてはどうでしょうか。

書く=話すと考えると、膨大な量を話しましたから、それでカバーされているのかも知れません。

次にテキスト喪失プロセスについて書いています。

外国語学習者としてはどうでも良い話なのですが、その中の(4)検索について少し書いてみたいと思います。

言語喪失したと言うときに、知識が全く失われてしまった(減衰説)のか、存在はするが知識へのアクセスがうまく行かない(検索失敗説)というものです。

私のフィルター理論によれば、前者は完全に穴がふさがってしまった状態、後者は穴にほこりがうっすらかかって見えにくくなっている状態です。

第二言語習得研究(SLA)において、「再学習における節約効果」の研究が今後注目されると書かれています。

一回目より二回目の方が簡単に学習できると言うことです。

これは忘れていたと思っていたのが実際はフィルターにほこりがかかっていただけで、それを取り除くことで短期間できれいなフィルター再生されると言うことでしょう。

ではこの喪失理論が我々の外国語習得にどのように応用されるのでしょうか。

テキストの250ページに「日本人はとかく金銭的損失に関しては敏感であるが、こと英語学習に関してはそれに費やしたエネルギーや時間が「忘れてしまった」ことによって無に帰しても案外無頓着で当然と思ったりしている。日本人学習者の場合、そもそも英語を「習得した」という実感がないから、「喪失感」もないのかも知れない」との記述があります。

千野栄一外国語上達法」18ページにも同様の記述があります。

これはいろいろ考えさせるコメントです。

趣味英会話」と言う人がいます。

英語」を「日本語」と置き換えるならば、「趣味はおしゃべり」ということになります。

趣味はおしゃべり」だとパッとしないのに、「趣味英会話」と行った瞬間高尚な感じがするのは変なものです。

彼らの趣味日本語のおしゃべりではなく、英語でなければならないのは当然として、さらには会話をすることではなく、英会話を学ぶこと(習得できるかどうかは問題ではない)、あるいは英会話をしている自分にうっとりすることだったりするのではないでしょうか。

それはあたかも温泉に行ったりエステサロンに行って気持ちよくなるのと同じなので、それ以上の結果を要求しないのではないでしょうか。

あるいは、控えめな日本人の性格から、「これをやれば誰でも英語が上達」というふれこみの学校に行って、あるいはテキストを使って上達しなかった場合に、悪いのは学校テキストではなく、自分だと思いこんでしまうのかも知れません。

「金返せ」ぐらい叫んでも良いのではないでしょうか。

さて、前述の研究結果に基づいて、二つのアドバイスが提示されています。

・決定的閾値(critical threshold)を超える熟達度を目的とすること

・しっかりと「読む」「書く」という能力を訓練しておくこと

週に一度の英会話学校通いで外国語が習得できるなどと言うことは有り得ませんし、特に学習初期であれば、アクセルガンガンに踏み込んで決定的閾値にできるだけ早くに到達する必要があります。

また、読む・書くについては、町の英「会話」学校に通うだけでは駄目だと言うことです。