2006-09-17
今日の京王線の車内アナウンス
予想しないアナウンスに、乗客はザワザワ。
「ただいま寅彦のテスト中」
ここでの「の」の使い方が面白いなあとしばらく考えていました。
マイクやジョニーがテストの主体であれば、「ただいまマイクがテスト中」となるのでしょうか。
マイクやジョニーをテストしている側が述べるのであれば、「ただいまマイクの/マイクをテスト中」となるのでしょう。
しかし、「ただいま早稲田実業の練習時間。その次は駒大苫小牧の練習時間」となるでしょう。
日本語の文法は難しいです。
今日のイタリア語
出口に牛いた。
東京の丸の内地区ではカウパレードをやっていて、あちこち牛だらけです。
今日は高田馬場の文流で、イタリア語の本のセールがありました。
前回までは金融経済関連の辞書しか探していなかったのですが、今回は多読をやっていることもあって、小説を狙って行きました。
買った本
Kazuo Ishiguro 「Un artista del mondo effimero」
Luigi Capuana 「Il marchese di Roccaverdina」
Italo Svevo 「La coscienza di Zeno」
辞書一冊
以上、1,200 円也。これは安かったです。
こんなにたくさん、いつ読むのでしょうか。
ルビ
古本屋で、「ふしぎの国のアリス(ルビ訳)」(講談社)を買いました。
200円だから良いかと思って。
分かりにくい単語は、その語のすぐ下に意味が書いてるあるのです。
このルビ付きの英語のシリーズを、「講談社ルビー・ブックス」と名付けて売り出しているようです。
まあ、普段は読み飛ばして、分からなければ参考にすれば良いかと思って読み始めたのですが、ルビの日本語が視界に入ってきて、好調な英語読みの作業の邪魔をします。
読みづらいので放り投げてしまいました。
ルビと言えば、澁澤龍彦の「狐のだんぶくろ」の中の「漫画オンパレード」という作品の中に、漫画「のらくろ」の話がありました。
「あえていえば、私の文章修業の第一歩は、ようやく字が読めるようになった六、七歳のころから、あの『のらくろ』を毎日のように熟読玩味したことだった、といってもよいかもしれない」
と書く一方で、
「ようやく小学校に入学したかしないかの子どもが、こんな漢字まじりの平がなの文章をすらすらと読めたのは、要するに『のらくろ』漫画の漢字にすべてルビがふってあったからである。ルビさえふってあれば、どんなむずかしい漢字だって幼児に読める。
日本の戦後教育の大誤算の一つは、ルビをなくせば漢字学習の民主化が徹底されると考えて、あの便利なルビを極力一掃してしまったことであろう。じつに馬鹿げた発想と言うべきだ」
とありました。
先のルビー・ブックスは、単語の意味であり、のらくろは漢字の読みであり、同じルビでも役割が違います。
読めない漢字も、一ページに一つや二つであれば、漢字の形で意味を推測し、その読みが分からなくても飛ばしてしまいます。
「黙読しているときも脳の中では音が響いている」ということと、「音を持たせずに読む」ということはどのように関係しているのでしょう。
音がないより、あった方が理解が深まるということでしょうか。
初めて英語、あるいはその他の外国語に触れた昔の日本人は、音/読みを与えないまま読んでいた時期もあったのでしょうか。