全ては幻想である
全ては幻想である
最近はひらがなの看板を見ると、ついアナグラムを作ろうとしてしまいます。
今朝、神保町から大手町まで歩く途中、(それまで何度も通っているのに気づかなかった)ひらがなの表札/看板が目に付きました。
個人宅だろうか、レストランだろうかと近づいてみるとそこには
くろぶたきよし
と書かれてました。
お名前でしょうか。
会社に着いてからネットで検索してレストランだとわかるのですが、なかなかのインパクトでした。
「マツモトキヨシ」というドラッグストアがあるのですから、「くろぶたきよし」という黒豚料理屋があってもおかしくないのですけれど。
先日阿佐ヶ谷で見かけたスパゲッティ 松下雄二という店も衝撃でしたが。
さて、昨日は山本山の話を書きました。
下から読んでも山本山というのは、漢字単位でひっくり返すという条件の下での幻想に過ぎず、だからといって、「やまもとやま->まやともまや」であっても、所詮はひらがな単位。
「とまと(tomato)->otamot」の例に従うならば、「やまもとやま(yamamotoyama)->amayotomamay (あまよとままぃ)」となるのでしょう。
芸能人の隠語にあるように、ひっくり返し方にも約束事があるわけで、先の「くろぶたきよし」も、外国語での自己紹介のように「きよしくろぶた」とすることも可能なわけで、その瞬間「きよしこの夜」を想起して、くろぶたが高貴なものと感じられるようになるのでした。
「とまと(tomato)->otamot」の例は、日本語の母音+子音の組み合わせをひっくり返したのでわかりやすかったですが、普通の英語の子音混じり単語だとそれほど直感的には逆さ言葉が分からないかも知れません。(表記法をどうするかという問題もあります)
英語の有名な回文 Madam, I'm Adam. も、音という点では、「I」のところがひっくり返っていないのは残念です。
などと考えながら歩いているとヘッドフォンからはクリスタル・ケイの曲が。
最近はクリスタル・ケイとか、サークル・ケイとか(それはコンビニだ)。デアイ・ケイとか、イヤシ・ケイとか(違う、違う)。
芸能人の名前も変わったものが増えてきました。
呼びかけるときは「ケニー・ジイさん」とか言うのでしょうか。
そのうち歳を取ってくれば、名は体を表すでピッタリですね。