言わなければ分からないこともあるのよね
言わなければ分からないこともあるのよね
夫「どうしてこの歳になって離婚したいなんて」
妻「結婚してから今まで、あなたは一度も『愛している』って言ってくれなかったわ」
夫「そんなこと。。言わなくても分かるだろうに」
妻「言ってもらわないと分からないこともあるのよ」
私も語学ネタで書きたいことが後から後からどんどん浮かぶのですが、考えるスピードと同じくらい早く言葉にすることはできません。
書いていないからといって、考えていないのでは無いのですが、みなさんにお伝えすることができません。
文才の無さ、考えをまとめる能力の欠如を感じるわけですが、文字メディアが(右から左か、上から下かは別にして)基本的に直線の記述となる一方で、蜘蛛の巣のようにあちこちに同時に考えが飛ぶわけですから、文字メディアにするのは難しいという根本的な問題もあります。
その意味でマインドマッピングを授業中のノート取りに使うべしとしたブザンはえらいです。
話を戻して、「言わなければ分からないこともあるのよね」の話です。
以前書きましたが、外国語の能力は、その人のアウトプットの能力でしか測定できないので、学習者の目も、アウトプットの能力をつけることに向いてしまい、インプットの強化が疎かになることがあるのではないでしょうか。
先日読み終えた「外国語学習に成功する人、しない人―第二言語習得論への招待」は、薄い本なのに高いなぁと思いつつも、第二言語習得論の立場から外国語学習の成功への鍵が書かれていて面白かったです。
その中に、クラッシェンのインプット仮説が紹介されていました。
「言語習得は、母語も外国語も言語内容を理解することによってのみおこる」というものだそうで、極端に言えば、言語習得そのものは話す練習をしなくてもおこるというものです。
確かに突然しっかりと話し始める子供の例があります。
他方、「テレビからは言語習得ができない」という反論も紹介されていました。
インプット能力の強化において、映像メディアは(映像の助けで意味が取れてしまうので音が取れていないことに気づかないまま流れてしまうリスクがあり)お薦めしないということは、これまで何度か書いてきましたが、ここで書かれているのは、仮にインプット能力がついて、全て聞き取れて理解できるようになったとしても、その後さらにアウトプット能力の強化にはつながらないということです。
著者は「インプット+『アウトプットの必要性』が習得のカギ」と述べます。
実際に話さなくても、話そうとして頭の中で文を組み立てるリハーサルをしていることでアウトプット能力が養成されると言うことです。
テレビのような一方通行のものではその訓練ができないということです。
語学学校や留学先で、(実際に発言しなくても)授業中に一生懸命回答を考えていることが役に立つと言うことでしょう。
話は少し変わり、フランス語の海外向け24時間テレビ放送が始まったというニュースが先日出ていました。
BBC や、CNN に対抗し、フランス語で海外に発信するというものですが、うれしいことにインターネットでもオンラインで24時間テレビを見ることができます。
海外にいたときは、私はものすごいテレビっ子でした。
生き残るためにニュースを熱心に聞きましたし、それ以外の番組も、アニメから通販からクイズ番組まで見まくりました。
どこかで話のネタに使えて助かることがあるかも知れないと思っていたのでしょう。
日本に戻ってほとんどテレビを見ないのは、基本的には生存の危機が小さいと感じていることかも知れません。
それもあり、日本に戻ってしまうと、外国語の映像メディアというのは、ほとんど見ていません。
外国語能力のメンテという意味では、上に書いたように、映像メディアよりは音声メディアが良いと思っているので、フランス語であれば、RFI のインターネットラジオをかけっぱなしにします。
上に紹介した「外国語学習に成功する人、しない人」に、年齢要因(臨界期仮説)についての面白い研究結果が紹介されていました。
これまでの臨界期仮説を支持する研究結果はいずれも米国に移住した中国系、韓国系の学習者に対するもので、2000年に発表されたジセラ・ジアの研究結果によると、ヨーロッパ系学習者には年齢の影響が無いという結果が出たというものです。
欧州人は見た目が米国人と変わらないので、年齢が上でも継続して同化しようと動くのに対し、アジア人は途中で諦めてしまって同国人で固まるようになるからではないかということです。
これが事実であれば、日本にいて英語(あるいはその他の外国語)を学んでいる我々にとっては、年齢要因は無いということになります。(そもそも年齢要因など無かったということでしょう)
一読をお薦めします。