目は口ほどに
目は口ほどに
日曜日。
夜9時半を過ぎてこらゴソゴソと2時間ランニングへ。
井の頭公園まで行って、3周して戻ってきました。
1週目 ベンチに並んで座っていたカップルは、2週目には彼が彼女の肩を抱き、3週目ではチューしていました。
続きを見たかったのですが、もう1周すると家までたどり着かないかと思って諦めて帰ってきました。
サンタクロース帽子をかぶった金髪のおねえさんが2人ベンチで盛り上がっていました。
金髪のおねえさんを見ていて思ったのは、国際結婚カップルのことでした。
美男美女の生産が世界一のイタリアに足を踏み入れた私は、「もしイタリアに来ることを知っていたら結婚などしなかっただろう」などという文章をイタリア語学校の仮定法の授業の時に連発しておりました。
(妻も同じ文章を作っていたかも知れませんが)
「アルバート・メラビアンという学者の論文によれば、人間どうしの日常的なコミュニケーションの際に、純粋に言葉のみによって伝達される部分はわずか七パーセントで、残りの九三パーセントは声の調子や顔の表情、身振りなどによって伝達されているのだという」白水Uブックス「屋根の上のバイリンガル」(沼野充義著)150ページ
所詮言葉など7パーセントだから、あとの93パーセントでカバーできると言うことなのでしょうか。
私が3周する間に接近していったカップルにも、ひょっとしたら言葉はなかったのかも知れません。
手を握って、肩に手を回して、見つめ合って。
目は口ほどにものを言い
口も無口な私は、目も小さめで、何も語ってくれません。
そうは言っても、私自身は決して国際結婚に踏み切らないだろうなあと言うのは、文化背景とか共有体験が理由でしょうか。(歳を取ってぼけた時に、外国語を忘れて母語だけになってしまうのではないかと思うこともありますが)
外国語を理解する際に、「単語+文法+背景知識」ということがありますが、言葉がないにしても、話のとっかかりに背景知識の共有というのは大きいと思います。
子供の時に仮面ライダーを見ていたとか、泳げタイヤキ君が流行っていたとか。
初対面の人と話をする際も、共通の話題を探そうとしますし。
などなど考えながら、三鷹台駅の南口。
語学好きが集まる立ち飲みバーでもやりたいななどと思いながら、反対側に目を移すと、スーパーOdakyu OX
京王線の駅前に小田急のスーパーがあるのも違和感がありますが、お店の奥に、Delicatessen の文字が。
そして突然ひらめきました。
良く「デリカ」と略されていたので、「デリカ」+「テッセン」だろうと思っていたのですが、もともとドイツ語ですし、Delicat(ドイツ語ではDelikat) + Essen(食べる) ではありませんか!?
そして気持ちよく家に向かったのでありました。
三鷹バル
三鷹市井の頭2-14-8