飢餓状態
飢餓状態
Amelie Nothomb の "Biographie de la faim" を読み終えました。
ただ読んだという事実が残っただけで、あまり印象がない本でしたが、faim と soif、飢えと渇きについて考えることとなりました。
外交官の父の転勤に合わせ、子供時代を日本、中国、NY、東南アジアで過ごした著者の、食べ物飲物に対する執着を中心に置いた話です。
faim (飢え)と言っても、文字通りの飢えから、人が恋しいといった比喩的な使い方でも出てきます。
飢えと渇きはわかりやすいです。
お腹が空けば飢えを感じ、喉が渇けば渇きを感じ。
ではそれ以外のものはどうでしょう。
満たされているものが無くなって初めて欠けていることを感じるわけですが、そもそも一度も満たされることがなければ、足りないと感じることもないでしょう。
酒に酔う気持ちよさを知らなければ、酒が無くても困らないでしょう。
高速で車を飛ばしたことがなければ、スピード感を恋しく思うこともないでしょう。
心静かな生活をしていれば、刺激のある生活を求めることもないでしょう。
人はそれらが無くても困らない生活をしていましたし、無くて当たり前という時代でした。
そこに突然それらが出てきて、満たされてしまった現代人はもはやそれ無しには生きていけないのでした。
そもそも人は、最初はどうして何かの刺激を見つけるのでしょう。
その後、その刺激が無くなると、欠けていると感じるような。
趣味も同じ。
それまではなんとも思わなかったこと、存在すら知らなかったこと・ものに出合い、その次の瞬間、もはやそれ無しにはつまらない人生になってしまいます。
その最初のきっかけはどこにあるのでしょうか。
私もいつかは酒におぼれる時が来るのでしょうか。
私も突然サーフィンを始めたりするのでしょうか。
今年前半に読んだダヴィンチコード + 8月下旬の多読開始以降、年初来読んだ語数
仕事関連は除く
英語 567,000
伊語 226,000
仏語 414,000
計 1,207,000