日本語に対するセンスを磨く
日本語に対するセンスを磨く
日本語に対して無頓着な人が、外国語を学ぶ時にだけ言葉に対する感覚が鋭くなることはないでしょう。
「じ」と「ぢ」の使い分け、送りがな、「はじめまして」は「始めまして」ではなくて「初めまして」などなど。
interesting も funny も「面白い」と理解して終わりにしてしまうのでは、英語の上達は期待できません。
日本語のセンスを磨くには言葉遊びが有効です。おやじギャグ万歳!!!
以上がこれまでの私の主張でした。
最近はちょっと変わってきています。
確かに私はこどもの時からダジャレが好きでした。
確かに私はこどもの時から送りがなにうるさかったです。
が、振り返ってみると、外国語の学習過程を経たことで日本語に対する感覚が鋭くなったような木気がします。
順序が逆なのです。
日本語 母語 獲得 ということで、日本に生まれ育てば誰でも身につくということならば、そこではセンスがあろうが無かろうが関係ありません。
(ここで、詩人や小説家のセンスを問題にしているのではなく、通常の母語の運用能力を身につけるに当たってはセンスは問題にならないと言うことを言っています)
そうであるならば(母語の獲得の際には必要ではないならば)、外国語を学ぶに当たっては、時制に気を配り、冠詞に気を配り、意味の守備範囲に気を配るセンスを身につけることが必要になるでしょう。
語学のセンスがあるとしたら、そのような細部への気配りではないでしょうか。