英語ができると言うこと
英語ができると言うこと
先日、「異なる」「違う」という文字に引っ張られて意味がずれるおそれがあるという話を書きました。
今日も似たような話です。
「英語ができる」と言ったときの「できる」に、価値の意識が込められているという気がします。
勉強ができる、あいつはできる奴だ、などから分かるように、「できる=すばらしい」という図式が出来上がってしまっていて、結果的に「英語ができる」=「素晴らしい」ということになっているのではないでしょうか。
これが例えば、
僕は左の鼻の穴にピーナッツを10個入れて、その後右の鼻の穴を指でふさいで、フンッ! とやって、ピーナッツを10メートル飛ばすことができるよ。
と聞いた場合、
「そんなのできても、偉くない」
という反応になるのではないでしょうか。
「そんなのできても偉くない」と言うことの裏返しは、(通常であれば)「できる」ということは、偉いことだと言うことになります。
「できる」に引っ張られて、中学校の英語の時間に「Can you speak English?」と言っていたような気がしますが、実際には「Do you speak English?」なのでしょうね。
あまりにも中学で「Can you speak English?」とやってしまったために、それが正しいのか正しくないのかという感覚が無くなってしまいました。
少なくともイタリア語やフランス語では、Do you speak English?式の言い方をします。
「英語ができる」という言い方を「英語を話す」と変えることで、日本人は英語の呪縛から逃れることができるようになるかも知れません。
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