2007-12-08
買い物に
五反田のレナウン・ダーバンファミリーセールへ行って参りました。
イタリア時代に買い込んだスーツが次々と摩耗による使用不可状態となったので、スーツを買おうと思っていたのですが、出遅れて私のサイズはほぼ終了。
結局普段着をいくつか購入しました。
女性が好きなのは shopping で、男性が好きなのは buying だということをどこかで読んだ気がします。
あぁでもない、こうでもないと思い悩み、あちらこちらの店を見て回って結局何も買わないことも多い女性の「ショッピング」は、一緒に回る男性にとっては「早く決めてくれぇ」という気持ちからなかなか耐えられないことがあります。
shoppingという単語は、必ずしも買うことを必要としていないのかも知れません。
あちこちの業者に見積りを出してもらうのも shopping だったと思いますし、window shopping でも、買うわけではないですし。
カード払いにしましたが、ボーナス出るでしょうか。
投資としての英語
先日の「消費としての英語」の続きで。
結局のところ英語/外国語学習が投資となるためには、次のパターンしかないのではないかという気がしています。
1. 英語そのものをエンドプロダクトとして売る/教える
英語教室、テキスト作成販売、出版、通訳、翻訳、語学教師
2. 英語を使ってサラリーマンをする
しかしこれは英語が道具に過ぎないという点からは、やっていることは結局サラリーマンに過ぎない。
起業/独立するにしても、英語の要素を除いてしまえば、英語によるプラスアルファの部分がなかなか見えてこない。
3. 若いおねえちゃんに囲まれてモテていると錯覚する
2回四捨五入すると100歳になる年齢ともなると、これはかなりの効用を持っていると思われますが、鈴木孝夫の「日本人はなぜ英語ができないか」を読んで頂いた方には、「英語/外国語ができることはすごい」という誤解によるものであることは明らかです。
「誤解でも何でも構わない」というご意見はあるかも知れません。
他方、このリターンをどのように測定するか、その為に投資する時間とお金に見合うものかどうかは慎重に検討する必要があります。
結局のところ、やはり消費に過ぎないのかも知れません。
これまで英語(外国語)学習、および、英語(外国語)学習法の学習に費やした時間と費用を思うと、かなり暗くなります。
他方、語学だから身につけたらお金につなげなければという発想ではなく、趣味としての語学なのだから、リターンは求めなくても良いという考えもあります。
私もそのように思っています(自分を納得させようとしているだけかも知れません)が、そうだとしたら仕事の勉強をせずに趣味にこれだけ費やしてきて良かったのかという別の問題が出てくるのです。
(続くかも)
英文翻訳術 (続)
昨日、とある会でとある方にお会いして、「朝日カルチャーセンターの「英文翻訳1日入門」クラスの記事の続き、まだですか」とお言葉をいただきました。
おぉー! そうだった、忘れていた。
問題の記事はこちらです。
http://shibutora.g.hatena.ne.jp/shibutora/20070930/1191155257
しばらく温めておくつもりが温めすぎてほとんど蒸発してしまったような感じです。
未だモヤモヤしているのですけれど、以下のようなことだと思います。
- 英語でこのようなことが出来るのであれば、他の言語でも出来るであろう。
- 例えばイタリア語で同様のものを作ろうとすると、その過程で文法をものすごくしっかり勉強し直すことができるだろう。
- 「翻訳仏文法〈上〉 (ちくま学芸文庫)」なる本は既に売られていた。
- 他方、外国語テキストを一旦フィルターを通して脳内に再構築し、それを日本語フィルターで出力する際には、外国語のインプットフィルターの影響は既に無くなっている筈であり、にもかかわらず元の外国語の構造に引っ張られて訳し方を変えるというのは違和感がある。
- 同様の違和感は、辻谷真一郎氏のコースを受けたときも感じた。
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