2009-01-04
さよなら英文法 (その3)
「訳す能力と外国語を理解する能力は別の能力だから、訳文のまずさを見て、その人の外国語の理解が間違っていると断定することはできない」というのが前回までの「さよなら英文法」批判だったわけですが、さらに一歩進んだことを昨年記事に書いていました。
こちらです http://shibutora.g.hatena.ne.jp/shibutora/20080711/1215704449
我々にとっての母語である日本語に於いても、「では、今読んだ内容を自分の言葉で要約してください」と言われたときにできる人とできない人がいるわけです。
「訳す」という行為は、一旦頭の中に再構築したモヤモヤのイメージを、別の言語で創造するものです。
母語であっても「うまく言えないのですけれど」という言い訳があるわけですから、一旦深く降りる能力というのが必要になってくるのでしょう。
(続く)