壁に耳あり障子に目やに
壁に耳あり障子に目やに
いや、その。障子に目があったら目やにが出ることもあるだろうと。
今朝は家の斜め前の公園で撮影をやっていました。
船越英一郎がいました。
それはそれとして。
先日読み終えた「セックス神話解体新書 (ちくま文庫)」はとても面白かったです。(興味深いという意味です)
アヴェロンの野生児の話が特に面白かったです。
ナポレオンの時代に発見されたこの野生児の世話をした「イタール」の弟子の弟子がモンテッソーリとのこと。
モンテッソーリメソッドは、アヴェロンの野生児に用いられた教育法とのこと。
またこの野生児には熱い・冷たいの感覚も無く、性別についての認識も無かったとのことで、これらは言葉/文化と共に後天的に身につけるものだとされています。
なるほど。
冷たい・寒いという感覚を教わるまでは裸で氷の上に寝ていても寒くない。
言葉が与えられて初めてモノが存在するという例の話が、概念的なレベルではなく、人間の感覚も左右するということですね。
となると。
小椋佳や布施明が「シクラメンのかほり」の中で「疲れを知らない子どものように」と歌う時に、子どもは「疲れ」という言葉を知らないから疲れないのかも知れないと思い、アヴェロンの野生児が発見されたまさにその時に統治していたナポレオンが「我が輩の辞書に不可能という言葉はない」という時に、本当に不可能という言葉が無かったのかも知れません。(その後辞書を買い換えて「不可能」という言葉を知ってから勢いが無くなった)
外国人が肩こりにならないというのは、肩こりという単語がないからかも知れません。
アメリカ人がポジティブなのは、英語にポジティブな単語が多いからかも知れません。(同じ英語でもイギリス人は暗いのは何故だ)
ということで、冷え性で夏でも手足が冷える私は、今日から「冷える」「冷たい」という単語を忘れることにします。
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