語楽カフェ

趣味としての外国語学習

元気です

元気です

 

ご心配いただいた皆さん。ありがとうございます。東京の私と家族は元気です。

東京にいる私に出来ることは、節電と寄付。それから重要な情報が伝達されるネット空間に私のつまらない書き込みを流さないこと。

と言うことで、Twitterの書き込みも控えておとなしくしています。

 

妻Rは地震の予知能力があって、それでも地震発生の数分前とか数秒前なので、あまり役に立たないのですが、それでも心の準備には役立つようです。

今回については、前日に都庁のエレベーターが止まったというニュースを見て、「今日は危ないなあ」と避難持ち出し道具を準備していたそうです。(と言いつつ実際に外に避難した時はポケットに調理用の日本酒を入れていたらしいですが)

築26年の古家が地震に耐えて良かったです。

 

私と言えば最初に揺れた時は日本橋の古いビルの1階にいて、「これはダメかも」と思い、2回目以降は大手町の古いビルの11階にいて、「これはダメかも」と思っていました。

海外駐在12年半のせいで、地震耐性は他の日本人と比べるとかなり弱く、生きた心地がしませんでした。

それにも増して、職場のテレビで見た津波に飲み込まれる町の光景には、心臓を鷲掴みされるような苦しさを感じました。

 

自分の運命を誰かに握られていて、それでいてその誰かは必ずしも自分に好意的ではないという感覚。

 

2001年のニューヨークのテロの時に、WTCのビルを見上げていたあの時からの数週間に感じた感覚にも似ている気がしました。

 

電車が止まっていたので、会社側からはオフィスに留まるようにとのアナウンスがありましたが、安全な会社で一晩過ごすよりは家族と共に不安な一夜を過ごしたいと思って職場の先輩と歩いて帰ることにしました。

今から思えば余震の危険もあったわけでリスク管理としては正しくない判断だったのかも知れません。同じく自宅に向かう人でごった返す皇居近辺で、そんな日にもジョギングしている人がいたのは驚きました(呆れました)。

 

途中で神田から四谷三丁目まで行くという女性と一緒になって歩きました。(四谷への道が分からないと竹橋近くで尋ねられて一緒に行くことになったもので、こちらから声を掛けたわけではありません)

 

途中公衆電話に行列が出来ていましたが、電磁波過敏症の私が使うウィルコムPHSはほぼ問題なく繋がっていました。こう言う時に利用者が少ないのは良いですね。最近料金も安くなりましたし、2台目無料キャンペーンもやっていたような。

災害時の情報ツールについてはしっかり考えておく必要があると思いました。

NYのテロの時は日米の電話回線が絞られている一方でネット回線は問題なかったので重宝しました。

被災地になってしまうと有線のネット回線も使えないでしょうが今回の東京のようなケースであれば、公衆無線LANを使ってのネット接続、特にSkypeを利用したコミュニケーションなどは有効だと思いました。

 

会社から自宅まで走ったことは何度かありましたし最近は週末毎に20km超のジョギングをしているのですが、スーツと革靴で歩く17kmはきつかったです。

3時間半かけて22時半に無事到着しました。

 

甲州街道は車がものすごく混んでいたのですが、これは帰宅困難となった家族を迎えに行く車で混雑していた部分が大きいと思いました。実際に東京直撃の地震が来た時のことを考えると恐ろしいです。車に阻まれて動けずにいる緊急車両を何台か見ました。

井の頭通りは一部通行止めにしていたようですが、どの道をどのようにという点は引き続き検討が必要かも知れません。

 

最近は私より犬の方が大事な妻Rは1階で犬Tと眠りました。(と言いつつ地震でほとんど眠れなかったようです)

私は歩き疲れたおかげで朝までぐっすり眠れました。

 

東京の九段会館の天井落下で亡くなった女性のご主人のコメントには泣いてしまいました。

こちらです。http://news24.jp/articles/2011/03/12/07178079.html

 

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