日本通訳翻訳学会 「翻訳研究育成プロジェクト」第2回会合 参加しました (その1)
日本通訳翻訳学会 「翻訳研究育成プロジェクト」第2回会合 参加しました (その1)
行ってきました。立教大学。
イカ翻訳とかタコ翻訳とか、美味しそうな話らしかったので。
(実際には異化翻訳と同化(或いは馴化)翻訳で、タコはどこにも出てきませんでした)
前半は水野先生と長沼先生の発表。
翻訳についての考え方の変遷の話は興味深かったです。
これまでにも何回か聴いているテーマなのですが、毎回新しい発見があります。
今回は訳読と翻訳の違いと学校英語教育との関係などを考えながら聴いていました。
長沼先生の発表で紹介された、澤村寅二郎「訳読と翻訳」(1935 研究社)の、「訳読も翻訳も interpretation の一方法。訳読は解釈のため、翻訳は異なる」というところが印象に残りました。
学校英語教育で批判の対象となる「訳読」ですが、これは
・訳読は自転車の補助輪のようなもので、英文からの直接理解が出来るまでの間一時的に行っているもの。よって、とっととその段階を越えて、日本語を介さない/返り読みをしない直読直解の域に達すれば問題ないところであるが、十分な授業時間・自習時間が確保できないためにそこまで達せずに終わることが多く、その場合、「学校では訳読を教えている」という印象だけが残る
・英文が正しく理解されたかどうかを教師が評価するには(英語で質問しても良いのだけれど)日本語で正しく訳出できるかを見るしかない。この場合、フィーリング訳では分かっているか分かっていないかが判断が難しいことから、逐語訳的?な訳出が推奨され意訳は避けるべきとされる。
ということなのだと思います。
訳出に関する用語の定義(直訳/意訳、英文和訳、翻訳)がボンヤリしていることから議論がすれ違い、その流れで学校英語教育が目標を達成できない点について(真の原因は学習時間の圧倒的な不足であるにも拘わらず)訳読が犯人とされているというところではないでしょうか。