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趣味としての外国語学習

日本通訳翻訳学会 「翻訳研究育成プロジェクト」第2回会合 参加しました (その2)

日本通訳翻訳学会 「翻訳研究育成プロジェクト」第2回会合 参加しました (その2)

 

後半は翻訳家鴻巣友季子さんの発表です。

 

まず驚いたのは、翻訳家が翻訳論を語っているということ。しかも詳しい。(私より断然詳しい。当たり前か)

 

最初の方で米原万里不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)」の話が出ました。

この本は通訳・翻訳理論の本としても素晴らしいと思うのですが、通訳・翻訳の人たちが、そのような理論について自覚しているか無自覚であるかによって、パフォーマンスに差が出るのか興味深いところです。

 

発表ではナイジェリアの作家 Amos Tutola が「正統的」英語とは違う英語で書いた作品の話が興味深かったです。

 

当時の時代背景から、あえてアフリカ訛りの英語で出そうという出版社の意図が働いていただろうということ。「おかしな英語」なのでこれまでは日本語訳は「稚拙な日本語」にされていたこと。でも著者にとっては自然な英語なのだから自然な日本語に訳さなければならないのではないかという思い。

 

これについては、私は答を持っていません。

 

本になってしまえば、著者が書いたのか編集者が付け足したのかは分からない/どうでも良い話でしょうし、その本はイギリスで読まれるかも知れませんしナイジェリアで読まれるかも知れません。

 

というわけで、発表の後の質問コーナーで、いつものように手を挙げたわけです。

 

学会での質問はいつも緊張します。

周りが教授、研究生、通訳・翻訳のプロであることから、空気の読めない素人の質問と思われないようにとドキドキします。

 

「確かに著者にとっては自然な英語だったかも知れないが、仮に自然な日本語に訳してしまうのでは、「おかしな英語だったから当時の欧米の読者にウケた」という事実を反映できない。欧米でウケたというから読んでみた日本人読者には面白さが伝わらないのではないか。その点についてどう考えるか」

 

鴻巣さんの答は、「texture の問題を取り去ったとしても(違和感のある言葉遣いを取り去っても)尚、内容がエキゾチックなので異質なものとしての面白さは十分伝わる」というようなものだったと思います。(ドキドキしていたのであまり覚えていない)

その意味では、訳文をどう工夫するかという文脈で続いていた発表と私の質問からはベクトルがずれた答だったのですけれど、私としては「間抜けな質問」と言われなかったことで良しとしましょう。

(ちなみに「にほん昔話」風の訳文にしたとのことです)

 

夜に twitterでご挨拶したら、「良い質問でした」と言っていただいたので、幸せな気分になったというわけです。メデタシメデタシ。

 

(今まで一冊も読んでいないのですが)鴻巣さんの本を読むことにします。