語楽カフェ

趣味としての外国語学習

文化を知る必要は本当にないのか

文化を知る必要は本当にないのか

語学取得に文化背景は不要」と言う話を先日書きましたが、読者のみなさまから大きな反響が一件だけ面と向かって口頭で届けられました。

キリスト教や、文学作品に題材を取ったスピーチがあるでしょっ!」

おっしゃる通りです。

でも、キリスト教徒イスラム教徒仏教徒とユダヤ教徒が集まった会議で、キリスト教にちなんだ表現使っても、通じないでしょうね。

この辺りの話は、鈴木孝夫さんの「日本人はなぜ英語ができないか」に詳しいですが、英語をやるのであっても、アメリカ人になる必要はない(143ページ)と書いています。

中学英語教科書に出てくるアメリカの家庭が、父親をもファーストネームで呼びあって新鮮な感じがして、そのうちアメリカかぶれになっていくというパターンはあるでしょう。

現在中国外国語教科書の内容は、中国の題材が中心だとも書いています。その昔のロシア語テキスト中国の話ばかりだったとも。

そうなると、外国の文化には触れずに、著者が主張する「アウトプット(自国を紹介する目的の)の」外国語を学ぶことが出来るのでしょう。

そうは言っても、外国語に深く刻まれている部分はあるでしょう。

東照二「バイリンガリズム」では、マレーシアのバハサ・マラユという言語で、塩辛さの表現が何種類もあって、結果として英語母語とする人に比べて、塩辛さを判別する能力が高いという話(18ページ)や、同じ質問に対しても一人の人が英語で答える場合と日本語で答える場合とで、内容が変わるケース(19ページ)を紹介しています。

後者のケースは、その言語を習得した環境や経験に引っ張られる部分もあるでしょうから、本当にそうかという気もしますが、私もイタリア語で話す時は声が大きくなり背筋が伸び、女性を見ると口説いてしまうということがありますので、その意味ではある程度正しいと思います。

言語と文化の間には密接な関係があり、言語はそれを話す人間世界観根本的な部分で規定している」という説を、サピア=ウォーフの仮説と言うようです。

(続きは今晩書きます)

(と思いましたが眠いので続きは明日)

続きです

英語を例にとってまとめると(あまりまとまってないですが)、

・どのような英語を学びたいのか、まず考える必要がある。

・文化を知らなくても英語は身につくということを理解することで、「英語学習と同時に、英米文化を学ばなければならない」という呪縛から逃れる必要がある。

・もちろん外国文化を学ぶ人が、積極的にそのような表現を学んでいくのは当然必要。

そうでない人が、例えば「アメリカ現代スラング辞典」などを購入するのは意味のないこと(大学の時に買いました)。

・国際言語としての英語ということを考えると、そこでは道具としての英語であり、文化に由来する表現や、いわゆるスラングといったものは使われなくなる(使っても相手が分からないので、母語話者が使わないようにする)。 これは海外旅行英会話でも同じ。アフリカについて知るためにフランス語を学ぶ人はフランス文化について知る必要はほとんど無い。

・文化を知らなくても外国語を学べるとしても、外国語そのものが文化的要素を持っていて(文法構造とか、単語の細かさとか)、それが精神を規定することはかなりの程度あると思われる。(これは私の実感)