語楽カフェ

趣味としての外国語学習

単語

単語

辞書も、文法書も、言語活動を描写したに過ぎません。

我々が母語を習得する際に、辞書や文法書のお世話にならなかったことを考えれば、外国語においてもそのように習得することは可能のように思えます。

母語の習得であれば、周囲の言語活動を観察し、言葉意味を収集し、文法規則を発見していくことは可能でしょう。

ロンブ・カトーは、「文法を知らずに人間が習得できるのは、母国語だけです(それもしゃべることだけ。ものを書くことは、文法なしに身につけられません)。」と書いています。「わたしの外国語学習法」ちくま学芸文庫(80ページ)

辞書も文法書も使わなかったシュリーマン勉強法を見て、「辞書も文法書も不要」と叫ぶ方もいらっしゃいますが、彼は英語学習した時は、

"Vicar of Wakefield" Oliver Goldsmith 224ページ

"Ivanhoe" Sir Walter Scott 618ページ

を、暗記したと言います。

同様にフランス語をやった時は、

"Paul et Virginie" Jacques-Henri Bernardin de Saint Pierre 377ページ

"テレコマスの冒険"M. de Fontenelle, ???

を覚えたと言います。

英語について、800ページ分を暗記したら、ほとんどの文法規則とかなりの単語が身につくのではないでしょうか。でもそれは誰にでもできる学習法ではないでしょう。

もちろん、文法規則などは、観察して身につけるものですから、間違って覚えるかも知れません。

そこでシュリーマンは実際に作文で使ってみて、ネイティブのチェックを受けることで軌道修正しています。これは子供母語を習得する際に観察して習得したものを使ってみて、周囲の大人に修正されて覚えていく過程と同じです。

しかし記憶力の弱い我々は....

辞書を開いたら、一番目の意味で納得するのではなく、その単語の説明をすべて読むこととしましょう。

インプット量の多い人でなければ、二番目以降の意味に巡り会う可能性はどんどん低くなります。

一度辞書を引いた時に二番目以降も見ておかないと、もったいないです。

他方、忘れてならないのは、必ずしも訳語がピッタリ来るとは限らないことです。

辞書を読んだら、意味を一旦忘れて、後は多読多聴により、言葉意味の肉付け作業を続けていきましょう。