2006-02-28
外国語を一つマスターすると、二つめは楽になる
先日ご紹介した「言語の脳科学」(中公新書)ですが、母語の習得=>「獲得」と、外国語の習得=>「学習」とをはっきり区別しています。
これはきわめて重要な区別です。
母語の習得については差がつかないのに、外国語の習得には個人差が大きいことからも明らかです。
よって、母語を習得するように赤ちゃんが言葉を浴びるように外国語を学んでも、決して大人には身に付かないのです。
「一つめの外国語をマスターすると、二つめは楽になる」と言われます。
それは、英語の後にフランス語をやった私の感覚とも合っています。
ここには二つの要素の存在を推定することができます。
1. 外国語を一つマスターしたひとは、外国語の学習手法をマスターした人であり、二つめの外国語を学ぶときにその手法を使うことができ、よって容易に習得できる。
2. 二つめの外国語が一つめの外国語に近い場合、一つめの外国語のフィルターをコピーして、二つめの外国語のフィルターとしてすぐに使える。
私の場合は英語=>フランス語=>イタリア語でしたから、上記2の要素が非常に大きかったと思います。
これが、英語/中国語/ロシア語/アラビア語だったらそれほど容易ではなかったでしょう。
(それでも上記1により、初めてそれら外国語を学ぶ人よりは容易に習得できるような気がします)
「外国語のセンスがある」というのは、このようなことを指すのではないかとぼんやり考えています。