外国語モードの脳
外国語モードの脳
子供の時の手術のせいか、耳が遠いこともあるのですが、例えば新聞を読んでいるとテレビの声が聞こえてこないことは良くあります。
これは私に限らず、男性に多いのではないかというようなことが、「話を聞かない男、地図が読めない女」に書かれていたような気がします。
イタリアに住んでいた頃、ガイド付きバスツアー等に行くと、何カ国語もで説明をしてくれました。
妻は、イタリア語の説明の時はちょっと聞いていましたが、それ以外の言葉は雑音にしか聞こえず、眠り込んでいました。
私も眠かったのですが、英語もフランス語もイタリア語も耳に入ってきて、時にはドイツ語も知っている単語が耳に入ってきて、眠れなかったことがあります。
さて、最近インターネットラジオなどをかけながら作業をしているときに気づいたのですが、日本語であれば、途中は全然聞こえていなくても、ふと、気になる言葉が耳に引っ掛かるということがあるのですが、これが外国語の場合は、そうなるケースがほとんどないという気がします。
これは、作業の内容にもよると思います。
日本語で読み書きをしているのであれば、日本語モードに入っていて、日本語の単語が引っ掛かりやすいのではないでしょうか。
プラモデルを作るとか、マニキュアを塗るという言葉に引っ張られない作業であれば、ひょっとしたらどの言葉も引っ掛からないかも知れませんし、あるいは、「普段」頭が考えている言語の言葉が引っ掛かるのかも知れません。
極めて純化された形では、「思考は言語に縛られない。そうでなければ、これまで存在していなかった考えは、言語を用いて考える限り、生まれないことになる」と、以前書きましたが、日常生活のレベルでは、言語を使って考えているのだと思いますし。