どうして英語が使えない
どうして英語が使えない
この本は意欲作という感じがひしひしと伝わってきて、必ずしもすべてに合意できるわけではないものの幾つもの刺激を与えてくれ、また、私が意識していなかったことについて、気づかせてくれています。
前にこの本について書いたとき、私自身のアプローチとして、単語の意味については(英和の)辞書で意味の全体をざっと確認した上で一旦忘れて、その後は多読多聴で単語の意味のニュアンスを豊かにしていくと述べました。
(もちろん辞書を引かずに多読でいつのまにか使える単語になっているものもたくさんあるのですけれど)
これ自身は間違いではないと思っていますし、これまで不自由を感じたことはありませんでした。
128ページに、「不定冠詞はなぜあるのか」というくだりがあります。
ここには、不定冠詞や、it や some など、英和辞典には「通例訳さない」と書かれている単語があると書かれています。
上に述べた私のアプローチは、まずは日本語訳を思い浮かべて単語の意味の大体の骨組みを作った後に、実際の用例に多く触れることでその輪郭・幅・深さを明らかにしていくというものですが、その前提はまず日本語訳をベースにしているということです。
そうであると、この「訳さない」単語たちは、そもそもの骨組みが無い中でスタートしていることから、その後の肉付けの作業がうまく行かない可能性があるのです。
some などであれば、用例を見ていくことで対応は可能かも知れませんが、不定冠詞についてはそうはいきません。
以前にも書きました私の不定冠詞についての苦手意識は、このアプローチにあったのかも知れません。
英語であれ、イタリア語、フランス語であれ、読む、聞くの時は、「不定冠詞は訳さない/意味を持たない」と考えていることから、その使い分けのニュアンスが伝わってこないのです。
ここについては、多読/精読の際に冠詞に気をつけて読むことはもちろんですが、そのニュアンスについてはそれだけでは理解は難しいような気がします。
ここについては、しっかりした文法書、できればネイティブの書いた、ニュアンスの違いについての本をまずは読んだ上で、多読/精読に入る必要があると思います。