2006-07-26
疲れが溜まっている
遅い時間に食事して、太りますなぁー。
「寅さん、疲れが溜まってますねぇ」
と、隣の席のO君。
「ん?」
果たして「疲れが溜まっているのでしょうか」それとも「元気が無くなってきているのでしょうか」
運動して筋肉に乳酸などの老廃物が溜まるのであれば、疲れが溜まっているのでしょう。
(妻は「乳酸菌が溜まる」と言いますが)
その場合は、休息して疲れを流し出さなければなりません。
逆に「元気が無くなっている」のであれば、ひょっとしたら水道橋のパドガールのいるビアガーデンに行くとか、草野球の試合に出るとかの気分転換が良いのかも知れません。
症状を正しく理解しないとその治療方法も見つかりません。
「ところでO君、僕は疲れが溜まっているのかねえ、それとも元気が無くなっているのかねえ」
「両方でしょ」とO君。
いつもは彼に二項対立的な発想を戒めている私が白か黒か、二者択一の発想に陥っていました。
ということで、パドガールのいるビアガーデンでゆっくり昼寝でもしてみることにしますか。
演歌
私「最近は何を歌っているの?」
T「会津御身」
私「演歌?」
T「えっ?」
よく聞いたら、「Eyes on me」でした。
しばらくしてパソコンで仕事していたら、「えんかかんさん」を変換したら、「演歌換算」と出ました。
なるほど。
Eyes on me も演歌換算されたわけで。
連結決算やっている私のパソコンで演歌換算と変換されるのはやや情けないです。(正解は円貨換算)
そもそも「えんか」で最初に演歌が出てくるのがおかしい。
会社で何やっているのでしょう。
スキマスイッチの件 その2 はまなすさんへ
はまなすさんはギタリストなので、ギター同士で掛け合いをやるとか、ジャズのインプロビゼーションとか、そのような感覚がおわかりだと思います。
楽器の演奏で会話をするという感じでしょうか。(私にはわかりません)
同様に、ミュージカルの一シーンで、ダンス対決をしてみたり、それはタップダンスだったりするのですが、そういうのもコミュニケーションのような気がします。
自己表現と、相手の表現の理解のスキーマとしての音楽、美術、そしてもちろん言葉。
先日ご紹介した福田和也の「ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法2」の中に、書くことのトレーニングの話があるのですが、その中に「『再現』が難しいジャンルに挑む」というのがあります。(50ページ)
例えば本を読んで書評を書くと言うのは、文字で理解して文字で書くということで容易と考えられるのに対し、美術に関してその内容を文章に表すというのは「再現」が難しいとしています。
外国語においても、英語で聞いて、それに英語で答えるのはたやすいですが、英語で聞いて日本語で答える、あるいはその逆というのは、必ずしもうまく行きません。
スキーマの違いと言えるでしょう。
寅