2006-08-28
今日買った本 村上春樹
アリバイが苦いバリア 伊良部、縞柄が増し、無頼 浦和で蒔いた、ははは、と母は大麻で笑う-44個の回文にショートストーリーと友沢ミミヨの画を付けた、究極の回文50音かるた。〈ソフトカバー〉
「学校英語よさようなら」辻谷真一郎 (更新)
来月、辻谷さんの講師の翻訳講座にお試しで行くので、彼の著作を購入しました。
彼の「情報量理論」」というのが、フィルター理論に少し近い部分があるような気がしたので。
半分まで読みましたが、「結論には同意できるが、途中の論理展開が弱い」というのが感想です。
後半分も我慢して読みます。
悪いことに、別の本(「翻訳入門」)も買ってしまったのですが(定価よりは安く、1,320円で)、さらに悪いことに、Timebook Townというサイトからダウンロードすれば、60日間、105円で読めたと言うことです。
このサイトは、出版されてから時間が経った本はお得のような気がします。
お試しあれ。
さて、半分読んだところでのコメントは以下のようなものです。
・「学校英語批判」ということで、やや感情的に過ぎる表現や話が大きくなりすぎる部分があり、読んでいる側が冷めてしまう。
国家というものは、国家として必要であると判断したことには、個人の生活とか、ゆとりとか、幸福とか言うものとは別のところでモノを考えないといけません。そうしなければ国家が存続できないのですから、どんな大きな犠牲を払ってでもするべきです。(35ページ)
考えれば考えるほど腹が立ちます。いきなり入ってきて挨拶も何もなしに、「はい、英語です」なんて、
不作法にもほどがある。
子どもたちは何も知らないんですよ。
(37ページ)
・英語を英語で理解するという発想ではなく、日本語を介して理解する
外国語→日本語の翻訳の方なので、これであっても全く問題はないのですが。。。
自分にできないから否定していると言う風に受けとめられます。
他方、私のフィルターの考え方では、外国語のフィルターの穴開け作業をするときに、日本語をベースに穴の位置や形を探していくという姿勢はあってしかるべきと思いました。
・日本人が話せないのはむしろその精神性によるところが大きく(58ページ)
インプットの方は訳読によりしっかり身につけることを書いている中で、アウトプットについては「ブロークンでも恥ずかしがらずに話せ」というのでは、バランスを欠いているように思えます。
著者はこれでスペイン語が話せるようになったというのですが、(1)「話せる」のレベルが不明、(2)著者のスペイン留学の前の話か後の話か不明、(3)音声言語として習う必要はない(79ページ)としながらも、「ソノシートなんていう代物をすりきれるまで繰り返し繰り返しきいたものです」(80ページ)と書いている点との関係、などが見えず、モヤモヤが残ります。
61ページでは「学校国語よ、さようなら」というタイトルの章で、「母語だって苦しんで苦しんでやっと身につけたもの」としているのですが、これは、
→L1とL2を区分していないことで、「日本人も赤ちゃんが英語のシャワーを浴びたように勉強すればネイティブのようになれる」という勘違いにつながる
→言語習得/学習の後に来る、論理的な「国語」のトレーニング(三森ゆりか氏が何冊か書いていらっしゃいますが)を、初期の語学習得と区分していないことで混乱を招く
という問題があります。
これから残りを読みます。