2007-02-06
三行日記
外国語を独学でやっていると、どうしてもインプットに偏りがちです。
ある種、受け身の勉強法ですので、取りかかるのに敷居が低いという点があります。
読むにしろ、聞くにしろ。
それに対してアウトプットはかなりの意気込みが必要です。
さらには、間違っていた場合に修正してくれる人がいるかどうかという点も気になります。
(インプットについては素材を間違わなければ"正しい"外国語のインプットが得られるでしょうから)
インプットがある程度出来上がったら、アウトプットに取り組む時期でしょう。
多聴多読ジャーナルに紹介されていたと思うのですが、三行日記というのはとっかかりとしては効果的な方法ではないかと思います。
アウトプットはある程度瞬発力と慣れの部分がありますので、回数をこなす必要があります。
「一日三行でよい」という敷居の低さにより、継続することが出来、かつ、自分の書きたいことを書き、記録に残るというのが良いですね。
私の場合は「独り言」をトレーニングとしてやっていました。
記録に残らない点は(あとから見直すことが出来ない点で)やや問題ありかと思いましたが、それ以上に回数をこなす必要があったので、まあ良しとしましょう。
似たようなアプローチで、目についたものを全て外国語に訳す/外国語で表現するというものがあります。
これは日本語でもアナウンサーが目についたものを実況中継したり、通訳の人がトレーニングに使ったりする方法です。
プロを目指すには題材を選ばずに対応できる必要があると思いますが、私たち外国語好きのレベルであれば、好きなことが外国語で表現できれば足りるので、興味のないものまで外国語に訳すトレーニングをすることで継続できなくなることの方が怖いですね。
天文学
仏天
法文
を学
語と
る
という見出しを見ました。
(「天文学と仏法を語る」 縦書きだったので、その雰囲気を出してみました)
パッと見た時に、仏文学と読みました。
仏文学ならば、「ふつ/ぶんがく」なのに、天文学だと「てんもん/がく」と瞬間的に判断する日本人の脳は素晴らしいですね。
しかしながら、「仏」がフランスを表すように、「天」という文字がある国名/地域名を表していたとしたらどうでしょう。
そのとたん、天文学は、「てんもんがく」か、「てんぶんがく」か分からなくなってしまいます。
昔のインドを「天竺」と呼んでいて、その時期のインドの文学を「天文学」と呼ぶかも知れません。
また、大辞林 第二版 (三省堂)によれば、「いんもん 【印文】」という言葉があります。
(1)仏像の手指の示す特定の形。また、真言密教で、僧が呪文を唱えるときに指でつくる形。印。
これを学ぶ学問は、印文学(いんもんがく)なのでしょうけれど、インド文学と混乱しそうです。
正しい敬語の使い方
就活の時期だからでしょうか、正しい敬語の使い方に関する本が目につくような気がします。
敬語がきちんと使える人は、素晴らしいと思います。
他方、敬語というのは、決め事に基づいての表現なので、相手が同じルールに則っていない時には効果がありません。
正しい敬語を使おうと心がけている人が人口の一割しかいなくて、残りの九割の人が無頓着だったとしたら。。
敬語を使ったとしても、相手が敬語を分かっていないという事態も想定されます。
逆に、「よそよそしい変な日本語を使う人」というレッテルを貼られることもあるかも知れません。
ジョギングを始めてからFMラジオをよく聞いていますが、出演されている方の言葉遣いに時々拒絶反応が出ます。
NHKで育った古い世代なので。