2005-09-22
英語の早期教育について
大人になってみたら必要なのは英語ではなくフランス語だったという人もいるでしょうし、ロシア語だったと言う人もいるでしょう。
そうした中で、小学校(あるいはそれ以前)から、英語に時間とお金をつぎ込むべきかどうかについては、良く吟味される必要があると思っています。
私は自分の英語学習の経験が、その後のフランス語・イタリア語の習得に非常に役に立ったと思っています。
「将来別の言語をやることになったとしても、決して損にはならないレベルの英語教育」について、議論すべきでしょう。
(あるいは、将来的にも全く外国語を必要としない大多数の日本人のための英語教育のあり方とはどのようなものか)
その一つは発音だと思います。
「外国語の水曜日」黒田龍之介著 現代書館
「外国語の水曜日―学習法としての言語学入門」黒田龍之介著(現代書館)を読み終えました。
副題に「学習法としての言語学入門」とありますが、同タイトルの第3章だけ読めば良いでしょう。
巷の山のようにある語学学習法の本を片っ端から読んでいる感じがしていますが、そうすると、同じような内容にあちらこちらでぶつかることになります。
最初に読んだ時は感動しても、二回目以降だと「それなら知っているよ」となって、その本に対する不当な評価になってしまう可能性があります。
やや違うかなと思うのは、
彼の「その他の外国語」へのコメントにも書きましたが、レアリアを重視している点(158ページ)と
「間違いなく言えるのは、自分の母語(わたしたちにとって多くの場合は日本語)のレベルを超えるような外国語取得は、絶対に不可能だと言うことだ」(148ページ)と、説明無しに断定しているところです。
折角第三章で、言語学入門をやっているので、この母語を超えられないという点についての言語学的な説明をして欲しかったです。
面白かったところは
・外国語会話のクラスで、家族構成や勤務先など個人情報にかかわるやりとりが出る場合、全く違う人物になりきって答える。(102ページ)
・(124ページに紹介されている)土屋賢二著「われ大いに笑う、ゆえにわれ笑う」からの引用
「こちらにいる日本人の話では、三ヶ月ぐらいたつと、急に英語が聞き取れるようになる、ということでしたが、その気配もありません。..... 三ヶ月すぎると、聞き取れないことになれてくるのです。英語が分からなくても死ぬようなことはない、と分かってきます」
(続きはまた明日)