2005-10-05
文法
「文法重視から会話重視へ」などと言って、学校の英語の教科書ではハンバーガーショップでのやりとりが書かれているそうです。
その一方で、書店には多くの文法書が並べられています。
TOEICにしろ、ちゃんとした英語をやるにしろ、やはり文法が必要だと言うことなのでしょう。
コミュニケーション重視派(というより、"文法軽視派")の人たちは、この状況をどのように見ていらっしゃるのでしょう。
社会に出てから文法の重要性を思い知ってやり直すことになるというのであれば、頭の柔らかい学生時代に文法をきちんと教えておくべきだとは思わないのでしょうか。
これが鈴木孝夫的に、「きちんと英語をやるべきは、一部のエリート」として、学生時代はハンバーガーが買える程度の英語力で構わないと考えた上でのことであれば、それは非常に素晴らしいと思いますが、そうであれば、義務教育での英語の授業はもっともっと減らせるでしょう。
発音/ヒアリングの本もたくさん出ています。この分野こそ、耳の柔らかい中学の時にやるべき分野ですが、相変わらず義務教育では発音は軽視されているのでしょう。
書店には驚くほどの一般向けの英語学習書が売られています。「これであなたも.....」とか、「30日間で.....」とか、即効薬をうたっています。
もしそれらの提示する学習法が効果的だとすると、それらが義務教育で採用されていないのは文部科学省の怠慢です。
果たしてそうなのでしょうか。
効果が絶大なら、プライベートの英語学校でも採用されていても良いはずです。
そうでないところを見ると、効果が無いか、あるいは、あまりにも効果的でそれを適用すると国民全体があっというまに英語ができるようになってしまって、英語産業が衰退するので、あえて採用していないということでしょうか?
「中学・高校、さらには大学と10年間も英語をやっているのに話せるようにならない」ということはよく聞きますが、毎日5時間10年間やっているわけではないので、10年という数字に引きずられないようにしなければなりません。
10年間やったとおっしゃるあなたは、週に何時間英語をやっていらっしゃいましたか?
それは一日8時間に凝縮したら、何年分(何ヶ月分)トータルで英語をやったことになりますか?
それが2年にも満たないのであれば、2歳のアメリカ人の赤ちゃんほどしか話せなくても仕方ないかも知れませんね。
実際には大人は「文法」の助けを借りることで、もっと効率的に言語事象を習得できるわけですから、3歳のこどもくらいはできるようになっていないと困りますけれど。
「外国語学習に必要な最低限の時間は、週平均10-12時間」と言ったのは、ロンブ・カトーです。
わたしの外国語学習法(ちくま学芸文庫)(68ページ)
「外国語をどう学んだか」講談社現代新書 他
「外国語をどう学んだか」(現代新書編集部編)講談社現代新書を読み終えました。
先日書いた続き。
・最近の英会話学校の講師に、ただ母国語がしゃべれるだけの講師がいると書いた後で、
「一方、習う側もまた、教える側の人間的レベルを早く見抜くくらいの洞察力も必要だ。何年外国にいても語学力は当初のまま、と言う人もたくさんいる。要するに、その人の生活範囲にある人々のレベルを超えていないのである。付き合う人の次元を変えることがいかに大切か。それは自分自身で選択できるのである」(194ページ 室井克義)
・「語学は経済と同じで、限られた資源の有効的利用が鍵である、と。..... 数百語ぐらいの語彙と簡単な文法さえあればほとんど自分の意思を何でも相手に伝えられる。鍵は使いこなしだ」(231ページ セルゲイ・ブラギンスキー)
105円はお買い得でした。
同時に読んでいた、「英語とわたし」(岩波新書編集部編)岩波新書も読み終えました。
その代わりに、寄稿者が、マラソンの有森裕子、引田天功などなど、いろんな人が出てきます。
面白かったのは、例えば引田天功が耳が良くて、各国訛りの英語を聞き分けて真似して発音でき、同様に日本語の各方言も上手に発音できるということ。(さらには、犬、猫、カラス、赤ちゃんの声も出せる)(43ページ)
幸田真音が、外資系投資銀行で働き始めた時に、「まず、無駄がなく知的できれいな英語を話す憧れの同僚を目標に設定した。彼女の話し方や言葉遣いを徹底的にマークし、彼女からまわってくるメモは注意して読んだ。言葉の選び方、単語の組み合わせ方に始まって、イントネーションや、冗談の言い方、発音から表現のバリエーションまで観察し、気になったものはメモをとり、自分でも何度も真似て使った」(55ページ)
ベンチマーキングのテクニックです。
などなどです。