2006-08-19
学校英語
中高6年間英語をやっても話せない。
「インプットが大きくならなければアウトプットが出てこない」ということを知っていれば、そんなに悲観することではないことが分かります。
それにしても、英語を学ぶ多くの人の目的が、「海外旅行で困らないように」だったりするのであれば、学校英語でそんな難しい単語や構文はやる必要がないのかも知れません。
・「英語(外国語)を教える側は、当然のことながら学問的にも正確な英語を教えようとする。しかし、考えてみれば習うほうにとっては、それではあまり目標が高すぎる」(「外国語をどう学んだか」講談社現代新書 48ページ)
最近強く思うのは、四技能のどの技能をどこまでやるかということを最初に明確にすることの重要性です。
私のバイブルの千野栄一「外国語上達法」にも書かれていることですが、最初に読んだときはそれほど強くは感じませんでした。
歳を取ってきたので、無駄に時間を費やすことに対する拒否反応が強くなってきたのかも知れません。
(と、ドイツ語をやろうかしらんと今朝まで思っていたのを踏みとどまったところです)
速読と単語と文法と
黙読であっても頭の中で音にしていると読むスピードが上がらないことから、何年も前に自己流トレーニングをしました。
黙読なのですけれど、読むときに口からテキストと無関係の音を発するというものです。
これにより頭の中で文字を音に変えないということが可能になり、格段に速度が上がったことがあります。
他方、脳の研究では、文字を見ただけでその音が頭に響いているようです。
私のかつてのやり方は、(脳では音が響いているかも知れないのですが)自分では音に変える行為から解き放たれていましたが、そうは言っても語順通りにすべて読む読み方でした。
日本語でもっと早く読めるのは、母語だと言うこともありますが、漢字などは音の前に文字で意味がつかめてしまい(それは読めない漢字でもそうなのですが)、さらに音の呪縛が少ないのでしょう。
日本語では自分で読んでいて気づくのは、早く読もうとすると斜め読みに近くなっていることです。
速読上級者であれば、三行くらいまとめて読んだり、あるいはフォトリーディングなどでは見開き丸々読んで(見て?)しまうわけですが、その場合、語順とか文法とかはどうなっているのでしょう。
先日の記事で、「インプット(読む・聞く)においては、単語だけ分かればそれで済ませてしまい、それで意味が分からないときに初めて文法知識に頼ろうとする」ということを書きました。