2006-09-06
スピード
フランス語の本からイタリア語に切り替わった当初はあまりスピードが出ませんでしたが、少し調子に乗ってきたようです。
今日測ってみたら、大体2ページで3分くらいです。
日本語だと2ページで1分ですから、三倍かかっていることになります。
と言いつつ、快適なスピードではあります。
日本語の場合は漢字の形で意味が取れてしまえるとか、三行くらいまとめて読む/意味を取ることが可能になるので、このくらいの差は現時点では仕方ないでしょう。
気になるのは
・文法の苦手なところで、接続法、遠過去の活用が良く分からないことから、意味を取る場合に動詞の語幹で判断しており、結果として細かなニュアンスをくみ上げられていない可能性が大きい
・アクセントの位置が例外的な単語があっても、黙読で進む場合に着目されない。
・以前から書いていますが、冠詞に対する注目度が低い
ということです。
読み終わったらもう一度精読で読み直そうかとも思い始めています。
高校時代に英語の聞き取りを身につけたときは、多聴のお世話になったのですが、前に「英語は絶対、勉強するな!」を読んだときには、「(ヒアリングマラソンが勧めているように)様々な内容をたくさん聞くというやり方よりも、同じものを何度も何度も繰り返して聞く方が上達は早い」という印象を受けました。
これを「読む」に当てはめるならば、冊数をどんどん増やしていくよりも、一冊ずつしっかりこなしていく方が良いのかも知れません。
シュリーマンは、外国語を学ぶときは自分のお気に入りの(既に内容が分かっている)本を暗唱できるようになるまで繰り返して何カ国語も身につけたと言います。
今回のイタリア語の「ドリトル先生航海記」は、一つ一つの章も短いので、シュリーマン方式でやろうかとちょっと思っています。
辞書も文法書も、人間の言語活動の観察からそのベースの部分を書き出したものだという風に考えるならば、一冊500ページほどの作品を二冊、暗唱できるまでに覚えたシュリーマンは辞書や文法書に出てくる事柄の事象を帰納的に理解したのでしょう。
(その理解が正しいかどうかを確認するために、シュリーマンは自分のアウトプットをネイティブに直してもらっていたことも書き加えておく必要があります)
今日の
「チャングムの誓い」(ちゃんぐむのちかい)→「千佳ちゃんグイ飲む」(ちかちゃんぐいのむ)
magie 魔法、魔術
ハリーの魔法に驚いた後、ハリーに向かって、「それ magie (マジー)?」
「そんなことして、何に何の?」
ネットで見かけました。
「なにになるの?」が関西弁で「なんになんの?」と形を変え、最初の「なん」に「何」の漢字を当てたことから、二つめの「なん」にも勢いで「何」を当ててしまったものと思いました。
これを隣の席のO君(神戸出身)に見せたところ、
「なんになんの?」と、何の違和感もなく読みました。
これはどういう事でしょう。
・「O君は漢字が苦手だった」というだけで、この表記は間違い。
あるいは
という事かも知れません。
私がこれを見て驚いたのは、
「漢字を見て意味が取れてしまうから、黙読するときに音声化させないことができ、結果としてスピードアップが図れる」とずっと思っていたのに、実は漢字の形を見ずに(よっと漢字の間違いには気づかず)、その音で意味を理解した人が目の前にいた。
ということです。
読書の際の文字の音声化についての話は、非常に面白い分野だと思います。