2006-09-08
マンガの速読
高校、大学の時に、「速読」と称して本屋でコミック誌をすごいスピードで立ち読みしていた時期がありました。
少年誌(ジャンプ、マガジンなど)を読んでいた時期もありました。
確かにものすごいスピードだったと思います。
他方、大学時代には英語の速読の本を買ってきて、自分で速読に挑戦していました。
今思うと、マンガの速読と言うのは、実は絵だけでもかなり意味が通るので、あまりセリフを読まずに読んで(見て?)いたのかも知れません。
これはインプットの際に語彙にだけ注目して意味を取ってしまうのと似ています。
マンガもじっくり読むと、違った印象を受けるのかも知れません。
「サピア・ウォーフ仮説」と「未必の故意」
サピア・ウォーフ仮説とは、「人が話す言葉と、人の物事の理解のしかたやふるまい方には密接な関係がある」とする、言語学での説です。
「未必の故意」とは、法律用語ですが、「ある行為が必ずしも犯罪としての結果を生じさせると確信しているわけではないが、もしかしたら結果が生じるかもしれないと思いながら、その結果が生じてもかまわないと思いつつ行為を行った場合」をいいます。車を運転することが分かっているにもかかわらずお酒を飲んでしまうケースでしょうか。
さてさて、
世界各地からビジネススクールが集まり、留学希望者も一堂に会し、お互いに売り込みをするというものです。
私の母校、SDA Bocconiも参加しており、私は卒業生として3回目の参加です。
参加と言っても、学校のテーブルのところに立っていて、話を聞きにいらっしゃる留学希望の方にいろいろ説明をするというだけなのですけれど。
会が終わって、もう一人の卒業生と、イタリアから来た学生勧誘担当のイタリア人と3人で食事に行きました。
ここは本当にイタリアです。
さて、普段は無口でおとなしい私ですが、イタリア語になると性格が変わります。
背筋が伸びて、声が大きくなり、身振り手振りがつき、ステキな女性が通ると声をかけてしまいます。
これは一種「サピア・ウォーフ仮説」体現しているものです。
イタリア語になると性格が変わって、女性を口説いてしまうことを知った上で、ステキな女性をイタリアンレストランに誘うのは、これは「未必の故意」と言えるでしょう。
「未必の故意」となるためには、結果が犯罪とならないと行けないのかも知れませんが、既婚の私だとやはり犯罪かも。
そして「未必の故意」は「未必の恋」を経て「密室の恋」に。。。。。。
続く。