2006-10-21
最近物忘れがはげしくて
きれいにシワが取れません。
まあ、それはそれとして。
金曜日の朝の神保町-大手町のルートは、考え事で過ぎていきました。
考えていたのは
・日本語の中だけを考えても、似たような言葉がいろいろあって、かけことば、ダジャレに使われている。
・そこに外国語を一つ加えて、二つの言語間で似ている言葉を探し始めたら、ダジャレが作れる可能性はどのように増えるのか。さらに外国語を一つずつ加えていくと、どのような増え方をするのか。
・一言語であれば、1でしかないところが、二言語になると、2x2、三言語になると、3X3。と言う風に増えていくのであろうか。あるいは二次元ではなく、三次元、四次元に拡がっていくのか。(文系の頭には想像がつきません)
「語学の方程式」などとタイトルを付けているからには、公式化するとか、グラフに書くとか、図示するとかしないといけないだろうと、悶々と考えていたのですが、なかなか良いアイディアにたどり着きません。
もとより、日本語のように漢字の利用で同音異義語が多い言語とその他の言語とでは、言語固有の持つダジャレの作りやすさが異なるでしょう。
さらに、ダジャレは聞いたときの相似であり、聞き間違いのようなものですが、読み間違いや言い間違いでは別のロジックが存在していると思います。
引田天功(ヒキタテンコウ) と聞いたときには、「ヒキタテンコウ」としか聞こえないでしょうが、「ヒキタテンコウ」と書いてあるのを見たときは、「ヒキタテウコン」(挽いたばかりのウコン)と読み取ることもあるでしょう。
読み間違いには文字の形の類似性などが影響しているでしょう。
「そもそも人は何をもってダジャレと判定するのか」という大きな問題をまずは解決する必要があります。
ダジャレを定義しないまま、「多言語習得によるダジャレ生成可能性の級数的増加」などという論文は書けません。 (本気で書くのか!?)