語楽カフェ

趣味としての外国語学習

2006-11-11

i Pod

これは、iPod shuffle です。音が出ます。

これは、我が家の照明のリモコンです。音は出ますが、ピーとしか言いません。

引き続き スローリーディング

昨日に引き続き、スローリーディング中です。

例文で夏目漱石の「こころ」が出てきたので、ブックオフで「こころ」を買ってしまいました。

昨日は、

速読の本では、視線を斜めに動かしたり、あるいは複数行(さらには見開き二ページ全体)を一度に認識したりしようとします。

他方、著者は複数行(さらには見開き二ページ全体)を一度に書くことができないわけですから、著者の筆の流れをくみ取るには不適切な方法のような気がします。」

と書いたのですが、確かに文章は直線的ではあるものの、著者の経験は同時的だったかも知れないわけです。

それを直線的な文字表現で描写しようと決めたのは著者であり、そこについては同情する必要はないのかも知れません。

翻訳について書いたときに、

英語表現をフィルターを通して取り込み、自分の中で著者のイメージを再現し、それを今度は日本語フィルターを通して表現する」

というようなことを書きました。

まさしく同じ事です。

著者が見聞きし、考えたことは、立体的であり、色があり、匂いもあったはずですが、それを文字表現で伝えきれなかったらそれは著者の問題なのでしょう。

などと言いつつも、このスローリーディングの本は面白いです。

私などは語学習得のための多読なので、その意味では著者の意図などどうでも良くて、単語の意味の肉付けと文法表現の収集のことだけ考えてさっさと速読すれば良いのかも知れません。

ここで、再度書きますが、多読すなわち速読ではなく、スローリーディングでの多読も十分に可能だと思います。

モチベーション 続き 他 (更新)

前の記事にせいさんからコメントいただきましたが、その答えの意味も含めてこちらに書いてみたいと思います。

「使う機会がないのに、どうして外国語をやるのですか?」という質問は、外国語学習趣味になりうるという視点が抜け落ちているのでしょう。

外国語であることで実用性が高く、仕事にも生かせることから、「この外国語を生かした仕事はなんだろう」とか、「フランス語ができますのでパリに転勤させてください」などということになってしまうわけです。(私はパリに行かせてくださいと言っているのではありますが)

私が英仏伊の後に、今からドイツ語を始めようとすると、いろいろな質問が来ます。

これが例えば、ピアノバイオリンをやっている人が、これからクラリネットを始めるのであれば、そのような質問は出ないでしょう。

「使う機会がないのに、どうして新たな楽器をやるのですか?」とか、「バイオリン趣味ですからウィーンに転勤させてください」という話にはなり得ないでしょう。

これが外国語となった瞬間に、その運用についてご心配いただくのは、おかしいですね。

同様に、「外国語学習すなわち勉強」という発想から、「勉強がお好きなんですね。えらいですね」というコメントをいただくこともあります。

人間のある種の行動は(やや大きく構え過ぎか)、そのアプローチによって、仕事にも、趣味にも、勉強にもなると思います。

お百姓さんが野菜を育てれば仕事ですし、ベランダで家庭菜園をやれば趣味ですし、農業試験場で育てれば研究になるのではないでしょうか。

ということで、外国語学習は私の趣味で、複数言語を学ぶ過程で起きるいろいろな不思議について考えるのが楽しいわけです。

その途中で素敵な女性に囲まれるのも、もちろん悪い気はしないのです。

それはそれとして、

外国語教育とその実用性ということについては、いくつか考えないといけないです。

英語公用語論が出たときにもいろいろと議論になっていたでしょう。

「実際に英語を使う人は、一部の人(外交官商社マンやその他の国際企業の社員)しかいないので、その人たちだけにビシビシ教育することとし、英語は選択科目にすればよい」という意見がありました。

鈴木孝夫さんの「日本人はなぜ英語ができないか」(岩波新書)

他方、船橋洋一さんの「あえて英語公用語論」(文春新書)のように、インターネットの時代は、数が勝負なので、一握りのひとしか英語が使えないのでは困ると述べています。

「あえて英語公用語論」についての記事

鈴木さんの本を最初に読んだので、かなり影響されたのですが、その後に読んだ船橋さんの主張も、説得力があり、今ではそちらの意見です。(ただし、公用語化については反対ですけれど)

第二言語は獲得ではなく学習である」という点からは、学校教育で読み書きソロバンを学ぶのと同様に、第二言語を(英語である必要はないのですが)学ばせてくれるのであれば、その後の人生外国語を学ばなければならなかったときに、役に立つと思います。

中学高校さらには大学まで英語を学び、かなりの単語、複雑な構文までやりながら、それでも身につかず、他方社会人になっても英会話学校に行く人の目的が、「海外旅行に行ったときに困らないように」であれば、それはどこかが間違っているのでしょう。

そもそも海外旅行で使うフレーズが少なくて、しかも身振り手振りの方が良く通じたりして、ブロークンであっても何ら問題がないのに、学校で極めて難解なレベルまで、かつ正確性を求められているのはおかしな話です。


TOEIC の語彙

先日の名古屋生寅の会で、TOEIC の語彙集を見せていただきました。

ターゲットが830点くらいの本だったと思いますが、開いたページに書かれていた「慣用表現」10個のうち、見聞きしたものがあったのは、一つもありませんでした。

2個は、意味の類推ができるものでしたけれど。

これはどういう事でしょうか。

中学以来、30年あまりの英語とのつきあいの中で、一度も見かけたことのない表現。

イギリスアメリカでの7年半の駐在の間で、一度も見かけたことのない表現。

私の知識が偏っていると言うことでしょうか。

本を作った方の、語句の収集・選択のプロセスに誤りがあるのではないかとしか考えられません。

TOEIC のホームページでは、

「その国独自の文化的背景や言い方を知らなければ解答できないような問題は排除されています」とありますが、あの本に上がっていたものは、かなり口語的な表現でした。

ビジネスミーティングでは、様々な人種宗教の人が英語で話をするわけですから、英語圏風俗キリスト教に根ざした表現は、誰か使ったとしても、相手側が必ずしも理解できるとは限らず、途中から誰も使わなくなるのです。

鈴木孝夫さんの本に、この辺りのことは良く出てきます。

TOEIC 試験用のテキストや問題集はたくさん出版されているので、他と差別化するためには見たこともないような単語や語句を収録する必要があるのでしょうか。

これも不安ビジネスと呼べるかも知れません。

これを書いていて思ったのは、なかなか手つかずの Longman Pocket Activator です。

限られた語彙の中でも、基本単語を最大限に活用すれば幅が広がると思って購入し、通読しようと思っているものです。

動詞+前置詞や、動詞副詞 などは、きちんとやりたいと思っているのですけれど、これも一種の英米独自の表現かも知れないと思い始めました。

松本道弘さんがおっしゃるように、give と get だけで用が足せてしまうのかも知れませんが、前置詞や副詞との限りない組み合わせをきちんと身につけているのは、英米語圏のネイティブに限定され、その組み合わせのいくつかは、スラングとまで呼んでも良いようなものもあるのではないかと思います。

我々日本人が、phrasal verb に弱いのであれば、他の Non-native も同じ問題を抱えているであろうし、結果として国際ビジネスでは使われない表現ということになるかも知れないです。

Non-nativeの方が、phrasal verb ではなく、big word を使ってしまうのも、その方が誤解が無いからかも知れません。

Pocket Activator 自体は phrasal verb に特化したものではないので、基本語彙の意味を理解するという目的としては、引き続き有効と考えますので、早く取りかかりたいと思っています。