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趣味としての外国語学習

「なんで英語やるの?(中津燎子著)」文春文庫  音について

「なんで英語やるの?(中津燎子著)」文春文庫  音について

「なんで英語やるの?(中津燎子著)」文春文庫を読んでショックを受けたことの一つは、日本人の音の多くがアメリカ人には聞こえていないということでした。


筆者の発音指導を行った、J.山城氏のコメント

「私は日本の人が間違いだらけのひどい英語を使うのを非難しません。正式に習得しなかったからね。しかしそれを、アメリカ人達が称賛しうけ入れるふりをして、裏面では、首をすくめて馬鹿扱いにし相手にもしない事が最も不愉快です。わからなければわからない、と言えばよいのです。そして又、それにだまされている日本人不愉快です」 (42ページ)

J.山城氏は発音の指導しかやっていないことから、このコメント日本人の発音についてのものと想定されます。

また、筆者が運営する英語学校で、発音がおかしい場合に「あなたの言ってる音がわかりませんと生徒に言い続けている」という発言に対しての在日十何年の女性コメント

「あなたはね、相手にわからない、とぴしゃりと言っても、そのあとすぐに何故、わからないかを説明し、納得させるだけの日本語をもっているでしょう。それにあなた自身が日本人で、現実に、いい発音をしている以上、日本人同士なら、耳を傾けて、自分でもひょっとしたら出来るかもしれないと思ってくれるでしょう。私たちアメリカ人は、何と言ってもアメリカ人なのよね。一心不乱に教えてみても、距離が埋まらないのよ。すぐにアメリカ人だから出来る、と考えてしまうの。それが現実よ。厳しく教えればよりつかないし、一寸問い返しても傷つく方が深くて、何とかしようと言う方向には決してゆかないのが、日本の人々のむずかしさなのよ。きき返される事を異常にきらうでしょう。あれは他の国の人々にはこれ程はっきり見られない特色ねえ。やっぱり、私たち外人は、外国人としてこの国にいる以上、むつかしい関係にはなりたくないのが当然でしょう。だから内心はともかく、がまんしてしまうのよ」(275ページ)

我々が思っている以上に、音は伝わっていないし、それについて指摘も受けていないようです。

私がラジオ講座で基礎英語をやったころは、もう30年近くも前の事ですが、テキストに発音記号が表示されていました。

日本語にない音を発音記号を通してしっかり学ぼうと、1年くらい格闘した気がします。

筆者は発音の指導について、原音レベル、単語レベル、文章レベルの三つを考えていて、それぞれ移行するポイント英語教育に限らず言語教育のヤマ場であると述べています。(261ページ)

私はアルファベットの固有の音価としての原音は学校では習った記憶がありません。

私がそれに触れたのは、当時NHK教育テレビで放送されていた「セサミストリート」でした。

bag という単語の発音を学ぶときに、まずは[b][a][g]の三つの文字に分けて、それぞれの固有の音で切り離して発音します。[b][ae][g] (真ん中は aと eの間の曖昧母音)

その後、それをつないで発音すると、正しい bag の発音のできあがりです。

単語の発音が出来ても文章の発音が出来るかどうかは、また別の問題です。

結果としてネイティブに文章を読まれた場合に個別の単語を知っていても聞き取れないという事が起きます。

それは意味によって変化する文章のイントネーションと、学校で学んだ硬直的な上がり下がりイントネーションとの違い。あるいは、単語と単語のつなぎ目での音の結合・変化だったりします。

前者については262ページに、英語教科書批判の一部として紹介されています。

Good morning, everyone. という文に上がり下がりの線でイントネーションが表示されていて、それによれば Good は低く、mor で上がり、ning で下がるというものです。

後者については、It is の t と次の i がつながって発音されるというようなことなのですが、これを変な極端に推し進めると、本書で紹介されているように「There are は、ゼアラアと聞こえるからゼアラアと発音させる」というようなことになります。(27ページ他)

ゼアラアと日本人に聞こえるだけで、ゼアラアと発音しているわけではないのに。

前者については、義務教育での音読では身につきにくいでしょう。

これについては、英語の歌が良いのではないかと漠然と思っています。

最近の歌は意味の切れ目やイントネーションを無視して歌詞を曲に当てているからそうでもないのかも知れませんが。

後者については、当時のラジオ英語講座はしっかりと教えてくれました。

筆者の主張でハッとしたのは、

「少々、気をつけてきけば、外人英語には独特のメロディがある。それは必ず忠実につづりにそって音を出してつなぎ、特別の例外以外には勝手に音を消さないからだ。万一音を消しても、それに費やされた呼吸の分だけ、時間がかけてある筈だ。つまり音は消えても息はそのままだから、まが少しあく。殊に英国人はそうだ」(26ページ)

と言う点でした。